8. 特別な現象としてはこの名称が、非常に異なる世界の 3 ヶ所で、他地域での使用について
意識することなく、同時期に誕生したことである。こうして 1980 年代にポルトガルのアゾレス諸
島で23
、貧困対策の欧州プログラムプロジェクトとともに、慈善団体の伝統的なシステムへの
批判とともに、そして経済的包摂と生産の小規模プロジェクトの創設とともに、連帯経済につ
いて語られ始めるようになった。同様に、そして大西洋に浮かぶこの小さな島々での実践例と
無縁なフランスにおいて、より伝統的な社会的経済の社会制度化および硬直化の限界により、
連帯という修飾語を採用し、ポランニー(Polanyi)24
やモース(Mauss)25
の著作に基づいたオル
ターナティブ経済が登場した。その後多くの引用が行われることになるこれら著者は、家庭内
経済における互恵性と贈与の原則、営利経済を特徴づける営利精神、そして公共経済に特
徴的な分配の視点という、経済の多様な視点に好意的な議論を行った。この展望の支持者
は、平等で自由な市民の自主的な結束と財やサービスの公的再配分に基づいた民主的な連
帯により、伝統的慈善事業を超える連帯経済を擁護した。
3 つ目の焦点はやはり 1980 年代26
に、長期間にわたる流血的独裁政権と新自由主義の
支配後、連帯経済の概念や実践が具現化しラテンアメリカに当てられる。同大陸ではさらに、
インフォーマル経済が持つ大きな重要性についても留意する必要がある。時代遅れまたは有
害と誤って批判されたまさにこの枠組みの中で、再生産や生き残りのニーズ(食事、住居、飲
料水、救急など)に直面する民衆の取り組みおよび小規模な家族・手工業生産が展開されて
いる。家屋単位の相互扶助や一次ネットワークに根差しており、自己消費向け、および都市
周縁部の市場での販売向け、そして民主的な自主組織に基づいた財やサービスの生産に熟
練しており、チリやブラジル、ウルグアイやアルゼンチン、コロンビアやメキシコ、ペルーやエク
アドルなどの大都市圏において重要性が増している。命の拡大再生産と理解されている民衆
経済27
の概念が、これら現象を命名している。そしてラテンアメリカの著者は多くの場合、民衆
連帯経済28
という連結表現を用いている。民衆経済は連帯経済の初期段階であり、連帯経済
はより発展し正式化した段階を指すことになる。この民衆結社の動きは、2000 校近い学校に
加えて飢餓や貧困に対抗する市民アクションを創設したブラジルの土地なし農民運動、コロン
ビアやブラジルにおけるゴミ収集や廃品回収の協同組合、またはペルーの首都リマの郊外に
ある自主運営都市ビリャ・サルバドル(Villa Salvador)や、ブラジル・フォルタレザ市パルメイラ
23
原注: Amaro, R. (2009). “A economia solidária da Macaronésia. Um novo conceito”, Rec. Economia
Solidária, 1: 19-25.
24
原注(訳者の判断により邦訳を紹介): 大転換―市場社会の形成と崩壊、K ・ポラニー 著、 野口建彦・
栖原学訳、 東洋経済新報社、2009 年。
25
原注(訳者の判断により邦訳を紹介): 贈与論、M・モース著、有地亨訳、勁草書房、1962 年
26
原注: Guerra, P. (2003). “Economía de la solidaridad: Consolidación de un concepto a veinte años de
sus primeras elaboraciones”. In: III Jornadas de Historia Económica. Montevideo (p. 3). また Guerra, P.
(2012). Mirades globals per a una altra economia. Barcelona: SETEM も参照のこと。
27
原 注 : Carvalho de França Filho, G., Laville, J.-L.(2004). Economia solidária. Uma abordagem
internacional. Porto Alegre: UFRGS (pp. 161 – 166).
28
原注: Guerra, P. (2007). “Cómo denominar a las experiencias económicas solidarias basadas en el
trabajo”. Otra Economía, 1 (1)における、概念上および用語上の興味深い議論を参照すること。
9. ス(Palmeiras)地区の事例(独自の銀行、都市インフラの再デザイン、社会的通貨29
など)30
の
ようなより洗練された実践例といった社会運動を生み出している場合もある。
民衆の環境から出現し、資本よりも労働を優先し、互恵性と再分配を消費に導入すること
で支配的な経済の論理に対峙していた生産経済の特徴を明確化することで、3 つの C
(cooperació 協力、comunitat コミュニティおよび companyonia 仲間意識31
)について 1980 年
代に語り始めたのは、チリのラセト(Razeto)32
であった。解放の神学やその他草の根によるキ
リスト教運動、労働組合運動(COLACOT および CUT)、マルクス主義およびリバタリアニズム、
反植民地主義や反採掘主義33
、民衆教育34
や先住民文化、そして社会科学の批判的から生
まれたこれら概念およびその他の業績により、コロンビアやエクアドル、ボリビアやアルゼン
チン、ウルグアイやペルー、ベネズエラやメキシコ、そして最終的にキューバにおいて形成さ
れた。同様にブラジル35
においては最も重要度や認知度が高くなっており、2 万以上もの団体
の存在を実証するマッピング36
が 2 回行われており、その中でも特筆されるのが自主運営企
業と、農村地域における圧倒的な存在である。ブラジル連邦政府に総局が創設され、推進の
ための規範や措置が存在する州もある。連帯経済に関する博士課程を持ち、インキュベータ
ーや地域の取り組みとの間で協力している大学もある。そして 2003 年より、ブラジル連帯経
済フォーラム37
という闘争型組織が存在している。とはいえ、これら政府機構側の前進のうち
いくつかは、現在ラテンアメリカのいくつかの国で発生している政治的後退により危機にさらさ
れていることを言及する必要がある。
ラテンアメリカにおける連帯経済38
の概念形成は、労働および労働者の自主運営、民衆や
先住民による経済的・社会的および文化的生産や再生産形態、社会変革および資本主義の
29
訳注 : 日本では地域通貨という名称が一般的だが、カタルーニャをはじめとするスペイン語圏諸国で
は moneda social(社会的通貨)という名称が一般的であるため、ここではそれにならう。
30
原注: Favreau, L., Fréchette, L. (2002) Développement local et économie solidaire en Amérique Laine :
Des expériences innovatrices. Université du Québec.
31
訳注: 原語はスペイン語(cooperación, comunidad, compañerismo)であるが、ここでは同書で使われ
ているカタルーニャ語での単語をそのまま取り上げた。
32
原注: Razeto, L. (1984). Economía de la solidaridad y mercado democrático. Santiago: Programa de
Economía del Trabajo (3 冊構成)。また、民衆連帯経済の構成要素の説明については、Razeto, L.
(2010). Desafíos y proyectos de la economía solidaria. Santa Fe: Universidad Nacional del Litoral も参照
のこと。
33
訳注: 天然資源、特に鉱業資源の採掘により得られる収入を基盤とした経済構造に反対する運動を
指す。
34
訳注: 民衆教育においては、「被抑圧者の教育学」(P・フレイレ著、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011)
が代表的な著作である。
35
原注: Singer, P. (2006). “Senaes: Uma experiência brasileira de economia solidária”. In: Carvalho de
França Filho, G., Laville, J.-L., Medeiro, A., Magnem, J.Ph. (org.), Ação pública e economia solidária: Uma
perspectiva internacional. UFRGS (pp. 201 – 210).
36
原注: Gaiger, J. L. (2008). A economia solidária no Brasil: Refletindo sobre os dados do primeiro
mapeamento nacional. UFSC; Gaiger, J. L. (coord.) (2014). A economia solidária no Brasil. Uma análise
de dados nacionais. São Leopoldo: Oikos.
37
原注: Fórum Brasileiro de Economia Solidária. A trajetória do movimento da Economia Solidária no
Brasil.
38
原注: 1998 年から 2004 年にかけて Nexe 誌(バルセロナ)の 13 巻において刊行された一連の記事
(Núñez, Coraggio, Razeto, Melo, Guerra…)を参照。
10. 断絶に力点が置かれている。このため、明らかに政治的な意味合いのある議論であり、エク
アドルやボリビアの憲法においては連帯経済が言及されるまでに進展している。
一般的に連帯経済の概念は、オープンかつ集積的なものである。公式化され、世界各地
における何千もの実践例から、そして新たな知識の追加やその他概念との差別化が可能と
なる理論的貢献から生まれる新たな概念39
を組み込むことで、より豊かなものとなっている。
社会的経済、第 3 セクターと連帯経済
1. 社会的経済
登場順に紹介すると、母体となる概念は社会的経済である。実際、産業化の進展や、それ
により引き起こされた都市や社会、そして経済の変革を背景として、1830 年代から 1840 年代
にかけてこの概念が使用され始める。最初にこの概念を使った、デュノワエ(Dunoyer)、ペク
ール(Pecqueur)、ビダル(Vidal)やレルー(Léroux)は、貧相な社会的状況に注意を向ける変
革の先頭に立っており、諸国家の富は市民の自由な取り組みや資本主義市場の結果である
という政治経済学から距離を取っていた。個人の利益追求を伴ったこの市場が、経済生活の
要石およびエンジンとなっていた。
政治経済学の古典的論者の楽観論を前に、劣悪な生活・労働条件を示し、また多くの場
合糾弾し、それに対処する措置を提案する声が高まった。労働の組織化と価値に働きかける
声もあれば、一連の経済的・社会的活動に影響を与える声もあり、官民の慈善活動という伝
統的な機構を修正しようとする声もあった。窮乏や貧困をどのように解決するかが、19 世紀
のこれら知識人の主な懸念であった。
別の種類の声は、民衆および労働者の同じ系列40
から発せられるものである。階級の自
己認識41
という複雑なプロセスの中で、結社の要求と最初の相互扶助団体、抵抗団体、そし
て後に最初の協同組合が、フランス革命の原則である自由・平等・博愛と並んで連帯が最重
要の価値観となる声を結集し、これが 1830 年代から 1850 年代にかけて英仏両国において、
労働者の結社、要求および協同組合の世界における願望に反映され適応した。英国では
1844 年にロッチデール協同組合という先駆者協同組合の一つが発足し、その主な功績として
規定された原則は、改正を経て現在も存続している。経済活動において民主主義を導入して
おり、資格を持つ労働者の自主運営能力を実証していた。擁護していた価値観が実践に応
用できるという確実性を強調しており、組織形態や提案を通じて、当時支配的だったモデルへ
のオルターナティブを示していた。
39
原注: これが、米国のネットワークが連帯経済に対して与える意味合いである。Kawano, E., Neal
Masterson, T., Teller-Ellsbertg, J. (ed). Solidarity Economy I. Building alternatives for people and planet.
Amherst: Center for Popular Economies を参照のこと。
40
原注: Rancière, J. (1981). La nuit des prolétaires. Archives du rêve ouvrier. Paris: Fayard.
41
原注(訳者の判断により原書である英語版紹介): Thompson, E. P. (1963). The Making of the English
Working Class. London: Victor Gollancz.
11. ポルトガルにおける社会的経済の開始に関する研究42
では、経済の説明書の刊行を始め
た者、当時のチャリティや慈善団体の変革を志向した者、そして初期の労働者団体の声とい
う、3 つの範疇の間で行われた議論を示している。その背後には、社会主義者かつ数多くの
組織の共同創設者であり、中心的な価値が労働である社会的経済に関する興味深い説明書
43
の著者である、ブランダウン・ソーザ(Brandão Sousa)という素晴らしい著述家がいる。初期
におけるイベリア半島の別の知的貢献は、1840 年にすでに社会的経済に関する著作を編纂
44
しており、そのうちの 2 章が同年ポルトガル・ポルト市の文学雑誌に掲載された、スペイン・
ガリシア州の多才な経済学者で社会改革者であったラモン・デ・ラ・サグラ(Ramon de la Sagra)
45
が挙げられる。イタリアではヴィガノー(Viganò、1806~1891)、ルッツァッティ(Luzzatti、1841
~1927)、そして特にマッツィーニ(Mazzini、1805~1872)が、(大規模に拡大していた)共済
組合や民衆融資、そして協同組合運動を擁護し46
、国際的な解放という理想を捨てることなく
イタリア国家が築いていた社会を肯定した。
社会的経済の思想史において最も影響力のある著者の一人で、1900 年のパリ国際万博
で協同組合パビリオンを実現したシャルル・ジッド(Charles Gide、1847~1932)が、19 世紀末
にイデオロギー上の分類を確立した際、4 つの大きな潮流47
を区別した。まずビュシェ(Buchez、
1796~1865)、ラムネー(Lamennais、1782~1854)、そしてその後社会学者ル・プレー(Le Play、
1806~1882)と、ドイツ初の農業信用組合を伴うライファイゼン(Raiffeisen、1818~1888)など
を擁する社会的キリスト教派、2 つ目にデュノワエ(Dunoyer、1786~1862)48
やトクヴィル
(Tocqueville)を含む自由主義者、3 つ目に社会主義者、そして最後に連帯派となる。最初の
二派にとっては、国家の独裁能力を制限し、アソシアシオニスムや社会参加を促進する中間
組織の創設が重要であった。ブルジョワ(Bourgeois)とレルーの連帯派49
は典型的なフランス
学派であり、共和国が社会正義の主な保証人となるべきだと考えていた。社会主義者はいわ
ゆる空想社会主義、マルクス主義やアナーキズムからの数多くの知的貢献を得ていた。
これら知的貢献や議論について、ここで全て紹介することはできない。本来であればそれ
ぞれについて詳しく紹介すべきだが、フランスからはフーリエ(Fourier、1772~1837)、カベー
(Cabet、1788~1856)、サン・シモン(Saint-Simon、1760~1825)、プルードン(Proudhon、
1809~1865)、フローラ・トリスタン(Flora Tristán、1803~1844)、ブラン(Blanc、1811~1882)
そしてその支持者ら(コンシデラン(Considérant)やゴダン(Godin)など)、英国からは 1828 年
に雑誌「協同者」を創設した英国人のキング(King、1786~1865)とウェールズ人オーウェン
(Owen、1771~1858)が、さまざまな実践で労働者の願望を満たした。彼らは全て現行の制
42
原注: Estivill, J. (2017), “Os primórdios da economia social em Portugal. 1ª parte”, Rec. Sociologia
(Porto), XXXIII.
43
原注: Brandão Sousa, F. M. (1857), Economia Social. O Trabalho. Lisbon: Typografia do Progresso.
44
原注: Sagra, R. (1840). Tratado de economia social. Madrid: Imprenta de Ferrer y Compañía.
45
原注: サグラの生涯と著作についての説明は、Estivill, J. (2017). “Os primórdios da economia social em
Portugal. Contributos de Ramón de la Sagra. 2a parte”, Rev. Sociologia (Porto), XXXIV を参照。
46
原注: Fabbri, F. (2011), L’Italia cooperativa. Centocinquant’anni di storia e di memoria. 1861-2011.
Roma: Ediesse.
47
原注: Gide, C. (1890), Quatre écoles d’économie sociale. Université de Genève.
48
原注: Dunoyer, Ch. (1830). Nouveau traité d’économie sociale. Paris : A. Sautelet, Liraires-Éditeurs (2
巻).
49
原注: D’Hombres, M. (2015), Du solidarisme à l’économie solidaire. Lyon: Chronique Sociale.
13. 会的経済は第 2 次大戦後の期間、体制の一部に入ることでその存在を確立したが、苦難の
時代を経験した。
オイル・ショックの影響が顕著となり、福祉国家が衰退し始めた 1980 年代初めに、さまざ
まな分野の社会的経済の新たな推進および再発見が行われたのは、偶然ではない。フラン
スではアソシアシオン、共済組合および協同組合運動が共通の枠組み(CNLAMCA)53
として
結集し、1980 年にその特徴を「公共部門に属さず、会員間で平等の権利と義務とともに民主
的な機能および運営を備え、利益を配分し、その剰余については団体の成長および会員や
社会へのサービスに割り当てる団体」と再定義した。
文化的および言語的に分断した社会においてキリスト教、社会主義者と自由主義者の関
係者が結集して協同組合運動や共済組合運動、労働組合運動そして政治を推進する歴史と
いう別の社会的経済の伝統があるベルギーでは、1990 年にワロン54
社会的経済評議会がフ
ランスとは別の形で、「民間の性格で、利潤配分において資本よりも人間および労働者を優
先し、利益より前に人間または集団への奉仕」とこの経済を定義した。
これら両定義は、社会的経済の潜在能力および限界を明確に示す。フランスの定義は公
共部門を、ベルギーの定義は市場を参照対象としている。これにより社会的経済は国家と市
場との間で道を開き、個人を基盤として、そして個人や社会に便宜を与える形で、参加型運
営が行われることになる。
2. 第 3 セクター
第 3 セクターの概念の歴史はより短い。プロテスタント文化の米国で、NPO や財団の意義
が増大している点を社会科学者が確認した 1970 年代に生まれたものである。同国は、個人
の努力の文化が支配的で、蓄積できた富の一部を地域社会に還元する義務があり、万人の
全てのニーズをカバーしない公的社会保護という特異な制度がある国である。その視点から
は第 3 セクターは、非営利のもとで、市場(第 1 セクター)も国家(第 2 セクター)も解決しない
ニーズに対処するものと規定される。このため従属的かつ補完的で、3 番目の場所を占める
こととなる。長年の間、そして多くの国でこの第 3 セクターは、政府により、低価格で特定のサ
ービスの提供を委任および外注化すべく使われてきた。スペイン55
や欧州56
においては、ボラ
ンティア組織の範疇を定めようとした数多くの研究者により長年批判された、制度化である。
この分野においてまさに最も重要な研究の一つが、その定義および数値化の意図ととも
に実行された。1991 年に米国のジョン・ホプキンス大学が、13 か国にわたる大規模な比較研
究を行い、対象範囲はその後 45 か国へと広がることになる。研究対象となる非営利団体の
範囲を決める基準は、組織の継続性、民間の性格、収益の再投資、内部参加およびボランテ
53
原注: Duverger, T. (2014), “La réinvention de l’économie sociale : une histoire du CNLAMCA“. Revue
Internationale de l’Économie Social (Paris), 334.
54
訳注: ベルギーは北部のフラマン語(オランダ語の方言)地域と南部のワロン語(フランス語)地域に
大別され、首都ブリュッセルは両言語の併用地域(といってもフランス語が優勢)だが、社会的経済は
伝統的にフランス語圏である南部で盛ん。
55
原注: Casado, D. (comp.) (1992). Organizaciones voluntarias em España. Barcelona: Hacer.
56
原注: Casado, D. (comp.) (1997). Entidades sociovoluntarias en Europa. Barcelona: Hacer.
14. ィア活動である。非常に曖昧な基準により、私立大学、ペタンク57
のプレイヤーのチーム、障
碍者の作業所やお祭りを開催するための町内会も含まれることになった。協同組合、共済組
合やインフォーマルな取り組みが除外されたことから、イタリアやフランス、スペインやポルト
ガルの報告書においては多大な困難を抱えることになる。同様に研究は、第 3 セクターに対
して世界的な注目を集め、各国の雇用や GDP における、さらにはその融資形態の多様性の
重要性を示すことができた。
並行して、しかしそれより多少遅れて欧州でも、第 3 セクターの刷新および社会的企業に
対する関心が高まった。1992 年時点ですでに、ラテン的な展望の中で欧州における範囲の
制定を意図すべく、包摂の経済的広がりという視点の下、フランス・ボーヌ(Beaune)において
最初の会議が開催されている58
。同年ベルリン59
において、そして 2 年後にはドイツ・デッサウ
(Dessau)60
にて、大半の参加者がアングロサクソン系の会合が 2 回行われ、そこでは相互扶
助、社会的企業やコミュニティビジネス、そして地域発展に関する考察が行われた。1995 年
に欧州生産協同組合総連合(CECOP)が、9 か国における社会的企業の状況に関する報告書
を発表する会議を行った61
。この時期が決定的であり、1997 年に欧州委員会は、第 3 セクタ
ーおよび雇用に特化したプログラムを開始した。それ以前欧州委員会は社会的経済専門の
総局を擁していたが、零細企業専門の部署へと改変されることになる。その組織および各国
政府の関心は、労働市場への挿入と新たな雇用創出源に結び付いた雇用創出であり、第 3
セクターが運営する地域サービス62
が主要要素となり得る分野であった。
1996 年に、西欧各国の数多くの専門家が加盟するネットワーク EMES が創設され、欧州諸
機関の資金援助を受けて第 3 セクター、社会的経済および社会的企業に関する数多くの研
究63
を行う。これらの取り組みでは、マックス・ウェーバーの意味において理想的な形態を定
義し、欧州各国に適用され、そして最終的には北米の事例64
と比較される基準を 9 つ65
規定す
る研究が行われた。
57
訳注: フランスで生まれたスポーツ。ゲートボール同様、公園内でプレイされることが多いが、ゲート
ボールと違ってボールを投げ合う。
58
原注: Lejeune, R. (1992). L’Europe et l’insertion par l’économique. Paris: Syros.
59
原注: この会合において、ドイツやスコットランド主体の欧州経済自助・地域開発ネットワークが生ま
れた。
60
原注: Döring, R., Kegler, H., Zimmermann, K. (1996). People’s economy. Approaches towards a new
social economy. Dessau: Bauhaus Dessau Foundation.
61
原注: CECOP (1995), Les entreprises sociales. Une chance pour l’Europe. Bruxelles.
62
原注: Eme, B., Laville, J.-L. (1994). Cohésion sociale et emploi. Paris: Desclée de Brouwer.
63
原注: 例えば、Defourny, J., Favreau, L., Laville, J.-L. (1998). Insertion et nouvelle économie sociale.
Paris: Desclée de Brouwer; Borzaga, C., Deforuny, J. (dir). (2001). The emergence of social enterprise.
London: Routledge; Nyssens, M. (dir) (2006). Social enterprises. At the crossroads of the market, public
policies and civil society. London: Routledge を参照のこと。
64
原注: Doeringer, M. F. (2010), “Fostering social enterprises: An historical and international analysis”,
Duke Journal of Comparative Law, 20; Kerlin, J. A. (2006). “Social enterprises in United States and Europe:
Understanding and learning from differences”, Rev. Voluntas, 17: Defourny, J., Nyssens, M. (2010).
“Conceptions of social enterprises and social entrepreneurship in Europe and United States:
Convergences and divergences”, Journal of Social Entrepreneurship, 1 (1).
65
原注: EMES の J・ドフルニ理事長へのインタビュー in: Seghers, V., Allemand, S. (2007), L’audace des
entrepreneurs sociaux. Paris: Autrement (pp. 168 – 173)
15. 1990 年代末には、社会的企業66
の概念がさまざまな実践例や感受性を束ねるように思わ
れた。イタリアの社会的協同組合、フランスやドイツの包摂企業、スコットランドのコミュニティ
ビジネス、さまざまな様式で存在する就業支援の作業所、そしてより経済的な新活動分野を
見つけようとしていた NPO 業界全体を受け入れることができた67
。長年にわたってそのサービ
スのかなりの部分を分散化および委託していた各国の国家からも好ましく思われ、企業の社
会的責任の観点からも具体的な枠組みを提供できた。企業のオルターナティブな取り組みの
いくつかさえもが、社会的企業のモデルの中で認識可能であった。
その後、社会的企業の概念は長い道のり68
をたどることとなる。米国の大手ビジネススク
ールから発生し、英国では 2001 年から公的サポートプログラムが存在する社会的起業を流
行させた新自由主義の波が欧州に蔓延し、2000 年代後半に加速し、現在まで続いている。こ
の加速により、商売としての側面が強調されている。欧州委員会はその概念を取り入れ、「社
会的経済の企業で、利益創出よりも社会的インパクトを主要目的とするもの」69
と言及しており、
2011 年に開始したソーシャルビジネスイニシアチブというプログラムは、欧州連合の全加盟
国に広がり、スロベニア(2011 年)、クロアチア(2015 年)、オランダ(2012 年)、リトアニア
(2015 年)、ルクセンブルク(2016 年)やギリシャ(2011 年)などの国では、専門の法律が誕生
している。
定義の曖昧性により、その傘下にはあらゆる種類の企業70
を含むことができる。社会的企
業への公共財やサービスの割り当ては往々にして民営化の過程を隠蔽し、その一方でソー
シャルボンド、企業の社会的責任や社会的インパクト投資のための民間資金などの提案とと
もに展開される。社会的企業という現在の潮流により、確かにそのうちいくつかは連帯経済に
入ることが示されるが、個人の努力やビジネスの視点、市場における効率を優先する概念、
そして資本主義特有の経営やマーケティング技術の採用を含むことから、大半は連帯経済に
は程遠い。これはせいぜい、資本主義を道徳的にしたものである。
3. 連帯経済
ある意味では連帯経済は、社会的経済の娘だといえる。この娘は反逆的で、母の現状維
持や硬直化を受け入れず、自らの構築が行われるにつれ登場する新たな特徴を導入してい
るが、それらはさらなる環境意識、女性の役割や差異の権利に対する認識の強化、経済生
活における民主主義と平等の導入という明らかな意思、社会的・文化的変革の展望、新たな
政治文化である。ラテンアメリカで最も認知度の高い著述家の一人であるパウル・シンジェル
(Paul Singer)71
は、労働者階級の中で増えつつあるグループが正規の給与労働から疎外され、
自主運営形態を採用するようになると、連帯経済はその意義を見出すと擁護している。
66
原注: Estivill, J., Bernier, A., Vadalou, C. (1997). Las empresas sociales en Europa. Barcelona: Hacer. 同
書はフランス語やドイツ語でも刊行されている。
67
原注: Laville, J.-L. (2004). The third sector in Europe. Cheltenham: Edward Elgar.
68
原注: Estivill, J. (2015). “Empresas, emprendedurismo y empresariado social”, Rev. Economía Solidaria,
8.
69
欧州委員会 (2016). Social enterprises and social economy going forward. Brussels (pp. 50 – 53) .
70
原注: Sarwar, G. (2013). Paradoxes of social entrepreneurship. Gevena: UNSRID conference.
71
原注: Singer, P. (2017). Ensaios sobre economia solidária. Lisboa: Almedina (p. 33)
21. 組織に加え、合唱団、楽団、劇団、図書館、文化セクション、スポーツクラブ、そして特に互助
会、協同組合および労働組合が、分厚い結社の枠組みを構成していた。これらは、文献化さ
れる前に存在した自主運営された連帯経済および民衆文化の表現であり、ほぼ常に民主的
に、非営利で、政府と離れ、場合によっては政府に敵対して運営されていた。
このため、協同組合運動の歴史は全く知られていないわけではない98
。マヌエル・ラバント
ス(Manuel Reventós)99
、スラー・カニサレス(Solà Cañizares)100
およびジュゼップ・マリア・ビラ
ー(Josep Maria Vilà)101
による最も概観的で先駆的な業績や、フェルナンド・ガリード(Fernando
Garrido)102
、アンセルモ・ロレンソ(Anselmo Lorenzo)103
、マヌエル・ブエナカサ(Manuel
Buenacasa)104
またはアバード・デ・サンティリャン(Abad de Santillán)105
などによる労働者運動
の証言者が著した書籍いくつかが、この運動に言及している。第2世代の作家や協同組合運
動家で、協同組合史の記述にとりわけ取り組んだのは、アラディ・ガルドー(Eladi Gardó)106
、
およびその後バントーザ・イ・ロッチ(Ventosa i Roig)107
、ペレス・バロー(Pérez Baró)108
および
ラバントス・イ・カルネー(Reventós i Carner)109
である。ファレー・ジルネス(Ferrer Gironès)110
お
よびガブリエル・プラナ(Gabriel Plana)111
の研究は、すでに1990年代において、最初の刷新を
提起している。最近では別の刷新が行われ、そこではサンツ(Sants)112
やポブラノウ
(Poblenou)113
またはバルサルネータ(Barceloneta)114
地区といったバルセロナ市内の一定地
98
原注 : Estivill, J. (1979). “Cooperativisme. Balanç bibliogràfic”. In: Ictineu. Diccionari de les ciències
socials. Barcelona: Ed. 62 (pp. 126 – 130).
99
原注: Reventós, M. (1925). Els moviments socials a Barcelona durant el segle XIX. Barcelona: La Revista.
100
原注: Solà Cañizares, F. (1934). Les lluites socials a Catalunya (1812-1934). Barcelona: C. Casacuberta.
101
原注: Vilà, J. M. (1937). Els primers moviments socials a Catalunya. Barcelona. Nova Terra 社により
1972 年に再編。
102
原注: Garrido, F. (1870). Historia de las clases trabajadoras. Madrid: Imp. T. Núñez Amor. ZYX 社によ
り 1970 年に再編。また、Ibid. (1879). La cooperación. Estudio teórico práctico sobre las cooperativas de
consumo y producción en Inglaterra y otros países y especialmente en Cataluña. Barcelona: Imp. de
Oliveros も刊行されている。
103
原注: Lorenzo, A. (1946). El proletariado militante. Tolosa: Ediciones M.L.E.-CNT
104
原注: Buenacasa, M. (1966). El movimiento obrero espanyol. 1886-1926. París: Familia y amigos del
autor.
105
原注: Abad de Santillán, D. (1967). Historia del movimiento obrero español. Madrid: ZYX.
106
原注: Gardó, E. (1926). La cooperación catalana. Recopilación històrica.1898-1926. Barcelona: Gráficas
Funes.
107
原注: Ventosa i Roig, J. (1961). El moviment cooperatiu a Catalunya. Ciutat de Mallorca: Rauxa.
108
原注: アルベール・ペレス・バローの歴史家としての業績は、数多くの作品で具現化されている。そ
の中でももっとも代表的なものは、おそらく Pérez Baró, A. (1970). Trenta mesos de col·lectivisme a
Catalunya (1936-1939). Barcelona: Ariel、Ibid. (1972). Les cooperatives a Catalunya. Barcelona; Institut
d’Estudis Catalans、そして Ibid. (1974). Historia de la cooperación catalana. Barcelona: Nova Terra の 3
冊である。
109
原注: Reventós i Carner, J. (1960). El movimiento cooperativo en España. Barcelona: Ariel.
110
原注: Ferrer Gironès, J. (1998). Els moviments socials a les comarques gironines. Girona: Diputació de
Girona.
111
原注: Plana, G. (1998). El cooperativisme català o l’economia de la fraternitat. Barcelona: Universitat
de Barcelona.
112
原注: Dalmau, M., Miró, I. (2010). Les cooperatives obreres a Sants. Barcelona: La Ciutat Invisible.
113
原注: Dalmau, M. (2015). Un barri fet a cops de cooperació. El cooperativisme obrer al Poblenou.
Barcelona: La Ciutat Invisible.
114
原注: Alari, E., Dalmau, M., Gorostiza, S. (2016). La forja solidària d’un barri portuari. La Barceloneta
obrera i cooperativa. Barcelona: La Ciutat Invisible.
22. 区における協同組合の役割を提起した研究が傑出し、ロカ・イ・ガレス(Roca i Galès)財団115
が
刊行した協同組合運動家の伝記シリーズ、そしてより断片的な業績としてはマタロー(Mataró)
市116
に焦点を当てたマルガリーダ・クルメー(Margarida Colomer)117
のもの、また特定の時期
としてはファウラ(Faura)118
のものがある。そして忘れてはならない点としては、カタルーニャに
おける協同組合および共済組合の歴史そのものに言及した単行本である119
。
アソシアシオニスムおよび協同組合の先駆け: 互恵性の絆
カタルーニャにおけるアソシアシオニスムおよび協同組合運動の歴史の体系的な道のり
をここで紹介するには、この歴史を労働者民衆運動の歴史の中に位置づける必要がある。こ
れにより、連帯経済の観点からこの運動を特徴づける主な特徴のうちいくつかを、体系的に
紹介することもできる。
最初の特徴はおそらく、結社権の要求120
であろう。1855年にバルセロナで初のゼネストが
行われていた間、デモ参加者を束ねていた「結社か死か」という横断幕を目にすることができ
た。実際のところ、自らの利益を意識するようになった労働者にとって、結社できることは生死
に関わることだった。自由結社でさえ、新たな組織を構想する方法であった。1839年以降、勅
令により共済団体の結成が可能となった。その2年前より、労働条件の改善や賃上げの交渉
を希望していた労働者委員会による認識により、工場主らを代表する工場委員会との間で綱
引きが行われていた。1840年に織工者組合が、グラシア(Gràcia)村121
で創設された。翌年に
はウロット(Olot)122
で相互保護協会がすでに存在しており、これは同市内のその他の結社4
つ(織工、ベルト工、羊毛職人、仲介業者)と連合していた。1842年にトゥルタリャー(Tortellà)
とジローナ(Girona)にて、同様の相互扶助団体が誕生する。ファレー・イ・ジルネスによると、
協同組合の最初の構想はアルト・アンプルダー(l’Alt Empordà)郡123
で、特にジュアン・トゥタウ
(Joan Tutau)により導入され、1843年から1867年にかけて最も多い数の共済団体が集中して
いた124
。場合によっては、ラ・ウマニタリア・ダ・ジュンケーラス(La Humanitària de Jonqueres)
やラ・フラタルニタット・ダ・サン・ファリウ・ダ・ギショルス(La Fraternitat de Sant Feliu de Guíxols)
のように女性のみが参加するものもあった、1843年には、バルセロナ県内に16の労働者団体
が存在し、1855年にはこの数字が41に増加したとみられている125
。10年後、ジローナ県内の
郡を全て足し合わせると、48もの団体が存在していた。
115
原注: 現在のところ 28 冊刊行されている。
116
訳注: バルセロナ市より 35 キロほど北東にある、地中海岸沿いの街。
117
原注: Colomer, M. (1986). Cooperativisme i moviment obrer. L’exemple de la Cooperativa del Vidre de
Mataró. Barcelona: Altafulla.
118
原注: Faura, I. (2016). L’economia social catalana als inicis del segle XX. Lleida. Pagès editors.
119
原注: Solà, P. (1994). “El mutualismo contemporáneo en una sociedad industrial. Anotaciones sobre el
caso catalán”; そして同じ本の Moreta, M. (1994). “Cataluña en el movimiento mutualista de previsión
social en España”. A: Castillo, S. (1994). Solidaridad desde abajo. Madrid: UGT.
120
原注: Jutglar, A. (1962). L’era industrial a Espanya. Barcelona: Nova Terra (pp. 93 – 107).
121
訳注: 現在はバルセロナ市の一地区になっている。
122
訳注: ジローナ県内陸部にある町。
123
訳注: カタルーニャ州でも最も北東にある郡で、サルバドール・ダリの出身地であるフィゲーラスが中
心地。
124
原注: Ferrer i Gironès, F. (1998), op. cit., pp. 55 – 56
125
原注: Arnabat, R., Ferré, X. (2015), op. cit., p. 42.
23. 医師についての証言を描いたペーラ・ファリップ・ムンラウ(Pere Felip Monlau)126
とジュアキ
ム・サラリッチ(Joaquim Salarich)127
、そして特に技術者のイルダフォンス・サルダー(Ildefons
Cerdà)128
は、カタルーニャのプロレタリアートの最悪な生活労働条件を表現しており、彼らは
団結し組織を設立することでこの状況との闘いを模索していた。ランバレー(Lamberet)129
は、
百家族ほどにより1840年にバルセロナで創設された最初の消費者協同組合について情報を
提供している。同年紡績労働者協会が誕生し、バルセロナ市内で7000名以上、バルセロナ県
内で8000名以上の会員を持つに至り130
、また綿工業労働者共済協会も誕生した。ビセンス・
ビべス((Vicens Vives))131
は、労働者の擁護と相互扶助(失業、病気など)という、1839年の
法律で認められた二つの広がりを説明する。これに加えて、失業者に労働を提供し、それ通
じて労働者が市役所の援助も得ていた協同組合工場の創設も追加しなければならない。しか
し再度弾圧的な措置により、「自主的かつ互恵的な絆であり、解散対象ではない」と明言して
いた労働者の実験に対して制限が課せられた。1841年、1842年および1843年に、労働者ム
ンス(Muns)が会長であったさまざまな様式の組織が解散させられる。最終的に1848年に、紡
績工企業が閉鎖されることとなる。
1857年に労働者組織全ての廃止令が出されるが、そのうちいくつかは公的に存在し続け
た。また、秘密組織化したものもあった。政治的状況の振動に左右される合法性と、その間に
おける地下組織化の間での生き残りを強いられる、盛衰が激しくリスクの多い民衆取り組み
は、このような徴兵反対の乱(1773年)132
、自由主義者の乱(1835~1843)133
、超王党派によ
る不満分子の乱(1825~1827)、中央集権主義者の乱(1843)、第2次カルリスタ戦争(1846~
1849)134
そして1868年の革命135
といった、覚醒と紛争を経た激動の時代の2つ目の特徴であ
る。結社の自由は1868年まで認められず、最初のアソシアシオン法が成立するのは1887年
のことである。
126
原注: Monlau, F. (1845). Remedios del pauperismo. València: Mariano de Cabrerizo; (1856). Higiene
industrial. ¿Qué medidas higiénicas puede dictar el Gobierno a favor de las clases obreras? Madrid:
Ribadeneyra.
127
原注: Salarich, J. (1858). Higiene del tejedor. Vic: Imp. y Librería de Soler hermanos.
128
原注: Cerdà, I. (1865). “Monografía estadística de la clase obrera de Barcelona”, apèndix a: La teoria
general de la urbanización. Madrid: Imp. Española.
129
原注: Lamberet, R. (1953). Mouvements ouvriers et socialistes. Chronologie et bibliographie. París: Les
Éditions Ouvrières (pàg. 31).
130
原注: Isard, M. (1978). El segle XIX. Burgesos i proletaris. Barcelona: Dopesa (p. 67).
131
原注: Vicens Vives, J., Llorens, M. (1961). Industrials i polítics al segle XIX. Barcelona: Vicens Vives (pp.
154 – 156).
132
訳注: 1770 年にスペイン国王カルロス 3 世が出した選抜徴兵令に対して、1773 年 5 月に一部のバ
ルセロナ市民が起こした反乱。
133
訳注: スペインでは 1812 年に最初のカディス憲法が発布されて以降、北隣のフランスの影響を受け
て自由主義の波が押し寄せており、旧体制支配が続く現状が勃発したもの。
134
訳注: フェルナンド 7 世の死後、幼齢で即位したイサベル 2 世の治世化で進んだ自由主義的・中央
集権的な政治を嫌い、フェルナンドの弟カルロスを君主に戴いて伝統主義的で地方特権の維持を図ろ
うとした勢力(カルリスタと呼ばれる)による反乱。第 1 次(1833 年~1840 年)、第 2 次(1846 年~1849
年)そして第 3 次(1872 年~1876 年)と起きるが、全てカルリスタ側の敗北に終わる。ちなみに第 3 次
カルリスタ戦争期には、カルロスの孫のカルロス・マリアがカルリスタ側が持ち上げる国王となっていた
一方、イサベル 2 世は後述の 1868 年の革命により国外追放され、反カルリスタ側(スペイン政府)は
アマデオ 1 世>第 1 共和政>アルフォンソ 12 世と目まぐるしく変わることになる。
135
訳注: 1866 年に始まった経済危機により市民の不満が高まり、フアン・プリム将軍の氾濫によりイサ
ベル 2 世が国外追放された件。その後 1874 年のアルフォンソ 12 世の即位まで、スペインでは自由主
義が支配的になる。
24. また、多機能性も互助団体にみられる3つ目の特徴であり、バレンシア市でエル・タリェー
ル(El Taller)を創設したバレアレス州・マヨルカ島出身の意思アントニ・イグナジ・サルベーラ
(Antoni Ignasi Cervera)136
が1844年に開始した先駆的な取り組みの相互扶助会においては、
1865年に1500名もの組合員を擁することになる。2年後に彼はマドリードで労働学校を創設し、
ここでは総合教育の提供に加え、病人への介護、無担保・無利息での融資提供、そして手工
業者向け原材料の購入や、彼らによる製品の販売を行った。この多機能性は、一方では緊
急のニーズのカバー、別の形態による消費や生産の模索、労働の提供、労働者民衆の要求
の表現や、報復を受けた者への庇護提供という、さまざまな前線での課題に同時に直面する
必要により、もう一方で公的社会保護の不在により説明できる。
公的福祉は非常に限定されており、縁故主義的で裁量の余地のあるものであり、何度も
再編成(1823年、1849年、1852年)されたものの、19世紀を通じて最貧層を庇護するに至らな
かった。むしろこの点で支配的だったのは、カトリック教会による慈善活動であった。また、そ
の後制定された労働者保護法(児童労働を禁じた1873年法と1878年法、労働災害に関する
最初の1900年法、および日曜日の休息に関する1904年法)も適用されなかった。この状況が
19世紀を通じて続いたため、協同組合運動は主に、社会経済的介入という総合的な使命を
深め続け、社交、研修、文化、レジャーおよび社会階層や地域アイデンティティの構築といっ
た機能を追加してきた。
民主主義が要求するアソシアシオニスムに基づく多様な機能や目的を進展させるこの
多様な使命こそが、19世紀前半を通じてより平等や社会的公正の進んだ他の諸国における
要求と共有された特徴である可能性は高い。ジャン・ルイ・ラヴィル137
は、アソシアシオニスム
の歴史的展開を振り返りつつ、1848年前のフランスにおいてその点を描き出している。コール
138
は、1820年から1850年にかけての英国における最初の協同組合運動および共済組合の
力と発展を説明している。イタリアでは139
、基礎的需要の充足、職務、また以前の世紀におけ
る手工業の形態に密接に関連し、同国において非常に長続きしたアソシアシオン形態や相互
扶助の前例を見つけることができるが、1810年代に社会的経済の多様かつ多機能な形態が
開花したのは間違いない。まずマッツィーニおよびルッツァッティの存在とともに、フランスや
オーストリアによる占領軍や教皇領に対抗する愛国主義的反乱が勃発したイタリア北部のさ
まざまな州において実施された。ポルトガルにおいては、同業者教会や手工業取引が長続き
したが、1850年以降労働者階級改善推進センター140
のような新興団体が、多様な社会経済
的活動をカバーするより幅広いプログラムでその範囲を広げたことは否定できない。
4つ目の特徴の内容を与える仮説は、協同組合運動、共済主義およびアソシアシオニス
ムという形で社会的経済が多様化している他国とは異なり、カタルーニャ語圏では取り組み
の多機能性およびその間の橋渡しがより長期間持続したというものである。かくして抵抗団体、
アタネウ、協同組合や、19世紀末の農協のように相互扶助の機構を創設する同業者組合、
協同組合の母体となる相互扶助団体や労働者市民学校、また1900年頃に新たな協同組合
を擁していた研修や余暇に取り組むカトリック系労働者サークルなど、多様な例が存在する。
136
原注: Estivill, J. (2017). “Algunes fites en l’itinerari formatiu de l’economia social i solidària”. A: DD.AA.
(2017). Esmolem les eines. Debats estratègics de l’economia solidària. Barcelona: Icaria, Tigre de Paper i
Pol·len (pp. 166 – 167).
137
原注: Laville, J.-L. (2015). Asociarse para el bien común. Barcelona: Icaria. (pp. 51 – 55).
138
原注: Cole, G. D. H. (1964). Historia del pensamiento socialista. Mèxic: Fondo de Cultura Económica
(primer vol., capítols X i XI); Cole, G.D.H. (1944). A century of co-operation. Manchester: Cooperative Union.
139
原注: Fabbri, M. (2011). L’Italia cooperativa. Centocinquant’anni di storia e di memòria. Roma: Ediesse
(pp. 25 – 44).
140
原注: Lázaro, J. (2014). Despontar do movimiento operário portuguès na esfera pública. Das prácticas
ao debate parlamentar. (1850-1870). Lisboa: Chiado.