SlideShare una empresa de Scribd logo
1 de 117
Descargar para leer sin conexión
連帯経済への招待: カタルーニャからの視点
ジョルディ・アスティビィ(Jordi Estivill)著
カタルーニャ連帯経済ネットワーク(XES)および
ポッレン出版協同組合刊
廣田裕之訳
目次
前書き ........................................................................................................................................... 3
第 1 章 名称による具現化: 何が連帯経済で、何が連帯経済ではないのか..................... 6
概念の登場............................................................................................................................... 6
社会的経済、第 3 セクターと連帯経済................................................................................. 10
第 2 章 過去の回想............................................................................................................. 18
支援、相互協力とコモンズ..................................................................................................... 18
アソシアシオンや協同組合の枠組み.................................................................................... 19
アソシアシオニスムおよび協同組合の先駆け: 互恵性の絆 ............................................... 22
弾圧に屈しない協同組合の推進および結社の復活 ........................................................... 26
拡大、無政府主義文化と地域のアイデンティティ ................................................................ 31
協同組合運動の成熟と最初の公的社会保護の措置.......................................................... 35
第 2 共和政下の数年にわたる協同組合や結社の至福...................................................... 38
スペイン内戦期の集産化と協同組合 ................................................................................... 42
フランコ政権下におけるアソシアシオンの大量虐殺と協同組合運動の統制..................... 48
第 3 章 数字で見るカタルーニャの連帯経済..................................................................... 55
計測の困難性......................................................................................................................... 55
カタルーニャにおける社会的連帯経済の量的発展............................................................. 57
連帯経済の概要..................................................................................................................... 64
第 4 章 連帯経済の実践..................................................................................................... 70
モル・マトリック(Mol Matric)。労働者の自主運営............................................................... 70
農村部におけるルリベーラ(L’Olivera) ................................................................................. 71
倫理金融とコープ 57.............................................................................................................. 72
他の財団とは異なるロカ・イ・ガレス財団.............................................................................. 74
サンツ地区のラ・シウタット・インビジブラ(La Ciutat Invisible)............................................. 74
エネルギー主権に向けたソムアナルジーア(Som Energia) ................................................ 75
ロンダチーム。戦う弁護士たち.............................................................................................. 76
IT。ソム・ムビリタット(Som Mobilitat)とジャムゴ(Jamgo) ................................................... 77
カタルーニャ総合協同組合.................................................................................................... 77
マリナレーダ(Marinaleda)、テラ・シャン(Terra Chã)... ....................................................... 78
第 5 章 カタルーニャ連帯経済ネットワーク(XES).............................................................. 80
簡単な沿革。由来、定款と原則宣言..................................................................................... 80
現在の構成および組織.......................................................................................................... 80
主な活動................................................................................................................................. 82
成果? XES の可能性、課題と限界......................................................................................... 87
第 6 章 将来の展望と構築。独自の道のり........................................................................ 90
連帯経済の成長の因子......................................................................................................... 91
断絶および移行...................................................................................................................... 93
社会的経済「と」連帯経済の統合.......................................................................................... 95
イチゴ戦略 .............................................................................................................................. 97
訳者あとがき: 連帯経済運動におけるカタルーニャの存在感............................................... 100
カタルーニャ紹介(地理範囲・州政府の権限・言語・歴史)................................................ 100
フランス流大陸合理主義の影響(英国流経験主義と比較して) ....................................... 108
本書の解説........................................................................................................................... 111
日本とカタルーニャの間での今後の連帯経済面でのつながりについて.......................... 116
前書き
本書の目的は、読者の皆さんに連帯経済について知っていただくようお誘いするものであ
る。勃興している現実、そして議論が行われ、議論の余地がある概念であり、比較的最近の
ものであるものの話題になる機会がますます増えており、このため説明や深い理解が必要な
ものである。これは、ラテン語でいうところの in itinere の概念について、すなわち形成途上に
あるものを取り扱っている。このため新しい概念の多くと同様、その範疇において世界各地に
おける数千もの実践例を含み、同時に社会的経済、民衆経済、第三セクター1
などの他の概
念と違いを見せる、共通の特徴を統合する意味で満たされている。
他言語、特にフランス語2
およびポルトガル語3
においては連帯経済の入門書が存在する
が、カタルーニャ語では存在しない。また、ポルトガル語、フランス語、イタリア語、スペイン語
や英語で刊行されている形成型辞書4
は、カタルーニャ語訳されていない。カタルーニャ語で
はジョルディ・ガルシア・イ・ジャネー(Jordi García i Janet)5
による 100 語での連帯経済6
という、
同経済に関連した一連の概念を規定する書籍が存在し、同書は重要な一歩ではあるものの、
体系的または一般的な入門書ではない。このため、本書の最初の目的は、この不足をカバー
するものである。2 つ目の目的は、連帯経済の基本知識を数多くの人に提供すると同時に、
現在刊行されている「アズムレム・ラズ・エイナス」(Esmolem les Eines、刃を研ごう)7
コレクショ
ンの基準と一貫する、平易で総合的かつシンプル、望むなら教育的な入門書の提供である。
そして 3 つ目の目的はカタルーニャ8
における連帯経済のポジションを定め、その特徴を説明
することである。
本書は、連帯経済に接近し、それが何で構成されているか疑問に思っている方々を対象
としている。また、この分野で教育を受けるか、現状の総合的な視野を持ちたいと希望する、
1
訳注: 日本では第三セクターというと、官民共同出資の事業を指すことが多いが、カタルーニャ語や英
語など欧州諸語では非営利セクター、特に NPO のことを指す。
2
原注: 社会的経済に言及した最初の入門書のうち 2 冊は、Verdier, R., Jeantet, T. (1982). L’économie
sociale. Paris: CIEM と、Desroche, J. (1983). Pour un traité de l’économie sociale. Paris, CIEM である。そ
して国際的な展開が含まれることから最も完璧な本のうち一冊は、Laville, J.-L. (1994): L’economie
solidaire. Une perspective internationale. Paris, Desclée de Brouwer(邦訳: 連帯経済―その国際的射
程、北島健一・鈴木岳訳、生活書院、2012)である。
3
原注: Singer, P. (2002), Introdução à economia solidária. São Paulo, Fundação Perseu Abrano.
4
原注: 英語版は以下の通りである。Hart, K. (ed.) (2010), The Human economy: A Citizen’s guide.
Cambridge: Polity Press.ブラジルで刊行されたポルトガル語での最初の刊行物は、Catani. A. D. (ed.),
(2003), A outra economia. Porto Alegre: Veraz である。
5
訳注: スペイン語圏やカタルーニャ語圏では、正式には父母両方の苗字を名乗るが、この際にスペイ
ン語の場合は単に両方の苗字を並べる一方、カタルーニャ語の場合には両苗字の間に i(英語の and
に相当し、イと発音)を置く風習がある。
6
原注: Garcia, J. (2017), L’economia solidària en cent paraules. Barcelona: Icaria.
7
訳注: Eines という単語は「道具」を意味するカタルーニャ語 eina の複数形だが、ここでは同書を刊行
する Pol·len 出版社によるコレクションの名称を指している。
8
訳注: 原書では「nostre païs」(わが国)という表現が使われているが、邦訳を作成している 2020 年 5
月時点においてカタルーニャは独立国ではない現状を鑑み、また読者に対する混乱を避ける目的で
(日本語の文献では「わが国」は通常日本を指すため)、当該表現についてはカタルーニャと訳出する。
増える一方の方々にとっても有益かもしれない。この意図のもとで、知識をさらに深めたいと
望む方のために、数多くの文献引用が含まれる。
説明するというこの試みは、カタルーニャから行われる。そして可能な場合、カタルーニャ
語圏全体9
に対する言及が行われる。カタルーニャの歴史におけるいくつかの要素の回復や、
カタルーニャにおける連帯経済の現状の把握、そしてその数値化が試みられる。そして、カタ
ルーニャの現実がイベリア半島、地中海空間やラテン欧州における文脈に沿っており、往々
にしてラテンアメリカと対話していることも念頭に置かれる。同様に、連帯経済に対してある程
度カタルーニャの道のりが存在することも示唆できる。
カタルーニャを研究する州外出身者は、非常にコンパクトで単一的かつ体系的な連帯経
済の現実のイメージ10
を、それに含まれる物語とともに提供する。往々にしてカタルーニャ内
に住む人間のほうが、カタルーニャ周辺諸国とは比較的異なる州内の単一的イメージについ
て得難くなっている。欧州における周辺地域である南欧の中では北部であるという事実、疎
遠で横暴的かつ時代遅れなスペイン国家による市民のニーズを解決することを待たない活
発な市民社会、十分に特異な工業化や都市化のプロセスを体験し、一方では数多くの自主
運営型・アソシアシオニスム11
型および協同組合型の取り組みを創造できた労働者階級の大
衆を、もう一方では地域のほぼ全体をカバーする都市計画を生み出した社会的枠組みといっ
た、さまざまな一般的な要素が、これら単一性や多様性を説明することであろう。自由になる
ことを望む小国なのだ。
また、文化やイデオロギー面での道のりも、独自の特徴を持っていることを追加せねばな
らない。連邦型共和主義の存在、特にフランス由来のいわゆる空想社会主義や国際主義、さ
らにはアナルコサンディカリズムの影響、協同組合やアソシアシオン12
の長い歴史、進歩的カ
タルーニャ主義と大衆組織との間の複雑な関係13
、1936~1939 年の内戦中に発展した自主
運営および集産主義の原則、われわれの歴史を通じて流れており、失敗ごとに再生されるナ
ショナル14
アイデンティティの要求、流血により守られる独自の文化および言語、ある種の妥
協主義、機知と感情の噴出の間の常なる揺れ動き、個人主義と集団組織との間の特異な重
なり、カトリック環境の中における努力意識・堅実な貯蓄・自らの労働といったプロテスタント
の精神、快楽や美しさを促進し、他の地中海諸国と共有される生活感覚などである。
9
訳注: カタルーニャ語は、カタルーニャ州のみならずバレンシア州(同地ではバレンシア語と呼ばれる)
やバレアレス州、フランス南部のペルピニャン市周辺、カタルーニャとフランスにはさまれた独立国アン
ドラ、そしてイタリアはサルデーニャ島のアルゲロ市の一部でも使われている(訳者あとがきを参照)。
10
原注: Parente, C. (2015). Um ecossistema de dinamização da economia social, solidária e cooperativa:
O caso de Barcelona. Porto: FLUP.
11
訳注: アソシアシオニスムについての詳細は、訳者あとがきを参照。
12
訳注: アソシアシオンは日本の特定非営利活動法人(いわゆる NPO)に相当するものであるが、ここ
では日本の特定非営利活動法人との理念的違いを強調する観点から、あえてアソシアシオンと訳出す
る。
13
Estivill, J., Garcia, J., Valls, J., Via, J. (2013), Economia solidària per una Catalunya lliure. Barcelona: Icaria.
14
訳注: 通常 nacional という単語は「国民」という訳出されるが、カタルーニャにおいてはその単位がス
ペインではなくカタルーニャとなる。その一方、「スペインから分離した独立国カタルーニャ」と「カタルー
ニャやバスクなど複数のネーションから構成されるべき(とはいっても現状では存在しない)スペイン連
邦の構成国としてのカタルーニャ」という両方の意味合いがあるため、その正確な訳出は非常に難しい。
このため、あえて英語のナショナルという表現をここでは使わせていただく。
これら要素全てにより、カタルーニャにおける連帯経済の仕事ぶりを形成する組織や取り
組みの真のモザイクを構成する枠組みが描かれる。また、歴史的遺産に加え、ここ数年充実
しつつある現在の闘争および実践例や、さまざまな考察および分析がこれに貢献する。そし
て、カタルーニャ連帯経済ネットワーク(XES15
)の存在は、この枠組みの生理学的定義に一役
買うことになる。
これらの考慮点により、本書の構造が説明される。第 1 章では連帯経済が何か定義され、
社会的経済や第三セクターなど、近接の概念との類似点および相違点が示される。第 2 章で
は過去の特に重要な特徴が紹介され、これら特徴に対する無知の現状の確認や、アソシア
シオンおよび協同組合の歴史をまとめて検討する努力願望が重視される。第 3 章ではカタル
ーニャの現状における質量両面のイメージを提供する試みが行われる。第 4 章ではさまざま
な重要事例が紹介される。第 5 章ではカタルーニャ連帯経済ネットワーク(XES)が紹介される。
そして最終章では、カタルーニャ内外における連帯経済の課題および将来に関する考察が取
り扱われる。
本書は、数多くの方や貢献に負うものである。そしてこれら寄与全てに個人的に感謝する
ことはできない。6 章で構成される本書は、XES の常任委員会および研修・出版委員会のふる
いにかけられた。そのコメント、提案や推敲により、文章を改善することができた。いずれにし
ろ、本書の最終的な文責は著者に帰すものである。
15
訳注: Xarxa d’Economia Solidària の略。直訳すると「連帯経済ネットワーク」となるが、読者の理解を
助けるべく「カタルーニャ」を前置している。なお、XES の発音は「シェス」となる。
第1章 名称による具現化: 何が連帯経済で、何が連帯経
済ではないのか
社会科学において概念を定義する場合、いくつかの方法は避けなければならない。一つ
の方法はその内容を拡大し、数多くの現象をカバーし、すなわちさまざまな異なる現実を含む
傘の如く、または消費者の意思により引き伸ばされたり縮められたりするチューインガムの如
く使われる傾向がある。別のものは、対象範囲を狭め、近接の他概念に対して高い障壁を構
築するものである。そして 3 つ目の方法は、法制度を調べ上げ、対応する法制度が存在する
かどうか確認するというものである。これは 1997 年に欧州委員会が社会的経済を規定した際
に選んだ認定様式となり、アソシアシオン、協同組合、財団および共済組合が社会的経済を
構成することが確認された。この明らかなメリットとしては、これらそれぞれが欧州連合諸国に
おいて法人格を具現化しており、その公式認定によりこれらを特徴づけ、後にその重要度の
数字を得ることに成功した。しかし、非公式または新興の取り組み多数を排除していると言わ
ざるを得ない。
それに対して本書では、歴史的および社会学的展望が用いられる。このため、どのように
連帯経済が登場し、それを統一する基準や内容が何であるかを見定めることとなる。かくして、
形式上の定義を超えて、より実質的なアプローチが模索されるのである。
概念の登場
前述した通り、連帯経済の概念は比較的最近のもので、一連の価値や基準を宣言し、同
時に他の概念と峻別されるものと規定される。あらゆる研究者が、連帯経済を生み出したプ
ロセスが 1980 年代に位置付けられる点で合意している。しかし、その名称には前例が存在す
る。カタルーニャにおいて集産主義の高揚感の真っただ中にあった 1937 年に、アナーキスト
の記者フェリペ・アライス(Felipe Alaiz)が、農村と都市の間の連帯経済16
と題する本を刊行し
ている。これは、連帯経済の北米ネットワークの創設メンバーであるエーサン・ミラー(Ethan
Miller)17
が報告するところでは、世界初のものであった。
歴史をつつくと、別の前例が見つかる可能性は非常に高い。いずれにしろ、1980 年代に
おける連帯経済の萌芽は、再興を引き起こすことになる歴史的根源に加え、1960 年代末や
1970 年代初めに由来する直接の因果関係もあると示したジャン・ルイ・ラヴィル(Jean-Louis
Laville)の指摘は妥当である。
その当時、何が起きていただろうか。フランスの 5 月革命、プラハの春、バークリーやメキ
シコにおける学生運動、イタリアの労働者主義オートノミズム、ドイツのオルターナティブ運動、
16
原注: Alaiz, F. (1937) . Economía solidaria entre el campo y la ciudad. Barcelona: CNT.
17
原注: Miller, E. (2010). “Solidarity economy: Key, concepts and issues.” In: Kawano, E., Masterson, T.,
Teller-Ellsbertg, J. (ed). Solidarity Economy I. Building alternatives for people and planet. Amherst: Center
for Popular Economies (p. 2).
ポルトガルのカーネーション革命18
およびスペイン政府の民主化への移行開始といった、新た
な闘争のサイクルが生まれた。この展開全てを通じて日常生活の陰鬱さが実証され(メトロ・
ブロー・ドド19
というフランス語のパロディの一節に要約されている)、大量消費の同一化、福
祉国家による硬直化、家父長主義的で権威主義的なモデル、権力の没落と下からの数多く
の組織のシステムとの共演関係が実証された。より健康に優しく原子力エネルギーに反発す
る環境保護運動や、業務の単調さや反復に対抗する仕事の質の改善、政治的・経済的従属
に対抗する市民参加と意思決定の増大、独裁に反対する民主主義の強化、偽の平等主義に
対抗する違いの権利、際限なき成長に対抗する倹約と節度の強調、家父長主義的社会に対
抗するジェンダーの是認である。以前の世代が行っていたものと異なり、これらの要求は単な
る理論的なものではなく、これらの現在の主張者や擁護者は、経済的および社会的(初期)
取り組みへの転換を模索したのである。
1970 年代のオイル・ショックは同時に、かつてない水準の物質的福祉や、高賃金、低失業
率およびゆりかごから墓場まで人生を幅広くカバーする社会保障を実現した経済成長を保証
可能だった福祉国家も揺るがした。しかしこの状況は、武器の販売や天然資源の無制限な搾
取、そして資源国に対して工業国が支払う低価格に基づいたものであった。1970 年代のオイ
ル・ショックは労働市場を悪化した。失業、貧困と社会的疎外20
が、欧州の風景に再登場した
のである。
伝統的な社会的経済は、まず慈善団体に結び付く温情主義的な概念構築に(ル・プレー
Le Play21
)、次にわずかな例外(スイスやスウェーデン)を除いて大量生産(テイラー主義)や大
量消費(フォーディズム)への稚拙な抵抗に、3 番目に国家権力の把握や、この意図を弾圧お
よび中和するファシズムの擁護者によるイデオロギー的および政治的攻撃に、そして最後に
同化プロセス、すなわち福祉国家と経済成長が先進国の展望において支配的だった 1945 年
から 1975 年までの、フランス人が「栄光の 30 年間」と呼ぶ機会に生まれた、政府と市場の機
構に対する同化と依存に、とらわれていた。
これにより、1970 年代の危機への対応として生まれた新たな取り組みは、大幅に社会制
度化されていた社会的経済の傘下では快適に感じることができなかった22
。このため新たな
協同組合運動、新たな社会的経済またはオルターナティブ経済と自己定義した。よくあること
だが、新たに勃興する現実においては、その自己意識を表現する新たな単語、新たな概念が
必要とされた。これにより連帯経済という名称が誕生した。
18
訳注: 1974 年 4 月 25 日に若手将校により発生したクーデターに始まる軍事政権の崩壊。当時ポル
トガルは、アフリカなどに植民地を抱え続け、その植民地が 1960 年代に独立運動を始めるとそれを阻
止すべく泥沼の戦争へと突入することになったが、これにより国が疲弊することになった。革命により民
主化が始まり、その中で制定された新憲法では協同組合に関する記述が非常に多い。
19
訳注: 「地下鉄(による通勤)、仕事と睡眠」を意味するフランス語。
20
原注: Estivill, J. (2003). Concepts and strategies for combating social exclusion. An overview. Geneva:
International Labor Office. スペイン語、フランス語およびポルトガル語への翻訳あり。
21
訳注: 温情主義的な経済運営を推奨したフランス人ピエール・ギヨーム・フレデリック・ル・プレー
(1806~1882)のこと。
22
原注: Garbarazcyk, B., Mortier, Q. (2017). Le défi d’une institutionnalisation positive d’économie
sociale. Bruxelles, SAW-B.
特別な現象としてはこの名称が、非常に異なる世界の 3 ヶ所で、他地域での使用について
意識することなく、同時期に誕生したことである。こうして 1980 年代にポルトガルのアゾレス諸
島で23
、貧困対策の欧州プログラムプロジェクトとともに、慈善団体の伝統的なシステムへの
批判とともに、そして経済的包摂と生産の小規模プロジェクトの創設とともに、連帯経済につ
いて語られ始めるようになった。同様に、そして大西洋に浮かぶこの小さな島々での実践例と
無縁なフランスにおいて、より伝統的な社会的経済の社会制度化および硬直化の限界により、
連帯という修飾語を採用し、ポランニー(Polanyi)24
やモース(Mauss)25
の著作に基づいたオル
ターナティブ経済が登場した。その後多くの引用が行われることになるこれら著者は、家庭内
経済における互恵性と贈与の原則、営利経済を特徴づける営利精神、そして公共経済に特
徴的な分配の視点という、経済の多様な視点に好意的な議論を行った。この展望の支持者
は、平等で自由な市民の自主的な結束と財やサービスの公的再配分に基づいた民主的な連
帯により、伝統的慈善事業を超える連帯経済を擁護した。
3 つ目の焦点はやはり 1980 年代26
に、長期間にわたる流血的独裁政権と新自由主義の
支配後、連帯経済の概念や実践が具現化しラテンアメリカに当てられる。同大陸ではさらに、
インフォーマル経済が持つ大きな重要性についても留意する必要がある。時代遅れまたは有
害と誤って批判されたまさにこの枠組みの中で、再生産や生き残りのニーズ(食事、住居、飲
料水、救急など)に直面する民衆の取り組みおよび小規模な家族・手工業生産が展開されて
いる。家屋単位の相互扶助や一次ネットワークに根差しており、自己消費向け、および都市
周縁部の市場での販売向け、そして民主的な自主組織に基づいた財やサービスの生産に熟
練しており、チリやブラジル、ウルグアイやアルゼンチン、コロンビアやメキシコ、ペルーやエク
アドルなどの大都市圏において重要性が増している。命の拡大再生産と理解されている民衆
経済27
の概念が、これら現象を命名している。そしてラテンアメリカの著者は多くの場合、民衆
連帯経済28
という連結表現を用いている。民衆経済は連帯経済の初期段階であり、連帯経済
はより発展し正式化した段階を指すことになる。この民衆結社の動きは、2000 校近い学校に
加えて飢餓や貧困に対抗する市民アクションを創設したブラジルの土地なし農民運動、コロン
ビアやブラジルにおけるゴミ収集や廃品回収の協同組合、またはペルーの首都リマの郊外に
ある自主運営都市ビリャ・サルバドル(Villa Salvador)や、ブラジル・フォルタレザ市パルメイラ
23
原注: Amaro, R. (2009). “A economia solidária da Macaronésia. Um novo conceito”, Rec. Economia
Solidária, 1: 19-25.
24
原注(訳者の判断により邦訳を紹介): 大転換―市場社会の形成と崩壊、K ・ポラニー 著、 野口建彦・
栖原学訳、 東洋経済新報社、2009 年。
25
原注(訳者の判断により邦訳を紹介): 贈与論、M・モース著、有地亨訳、勁草書房、1962 年
26
原注: Guerra, P. (2003). “Economía de la solidaridad: Consolidación de un concepto a veinte años de
sus primeras elaboraciones”. In: III Jornadas de Historia Económica. Montevideo (p. 3). また Guerra, P.
(2012). Mirades globals per a una altra economia. Barcelona: SETEM も参照のこと。
27
原 注 : Carvalho de França Filho, G., Laville, J.-L.(2004). Economia solidária. Uma abordagem
internacional. Porto Alegre: UFRGS (pp. 161 – 166).
28
原注: Guerra, P. (2007). “Cómo denominar a las experiencias económicas solidarias basadas en el
trabajo”. Otra Economía, 1 (1)における、概念上および用語上の興味深い議論を参照すること。
ス(Palmeiras)地区の事例(独自の銀行、都市インフラの再デザイン、社会的通貨29
など)30
の
ようなより洗練された実践例といった社会運動を生み出している場合もある。
民衆の環境から出現し、資本よりも労働を優先し、互恵性と再分配を消費に導入すること
で支配的な経済の論理に対峙していた生産経済の特徴を明確化することで、3 つの C
(cooperació 協力、comunitat コミュニティおよび companyonia 仲間意識31
)について 1980 年
代に語り始めたのは、チリのラセト(Razeto)32
であった。解放の神学やその他草の根によるキ
リスト教運動、労働組合運動(COLACOT および CUT)、マルクス主義およびリバタリアニズム、
反植民地主義や反採掘主義33
、民衆教育34
や先住民文化、そして社会科学の批判的から生
まれたこれら概念およびその他の業績により、コロンビアやエクアドル、ボリビアやアルゼン
チン、ウルグアイやペルー、ベネズエラやメキシコ、そして最終的にキューバにおいて形成さ
れた。同様にブラジル35
においては最も重要度や認知度が高くなっており、2 万以上もの団体
の存在を実証するマッピング36
が 2 回行われており、その中でも特筆されるのが自主運営企
業と、農村地域における圧倒的な存在である。ブラジル連邦政府に総局が創設され、推進の
ための規範や措置が存在する州もある。連帯経済に関する博士課程を持ち、インキュベータ
ーや地域の取り組みとの間で協力している大学もある。そして 2003 年より、ブラジル連帯経
済フォーラム37
という闘争型組織が存在している。とはいえ、これら政府機構側の前進のうち
いくつかは、現在ラテンアメリカのいくつかの国で発生している政治的後退により危機にさらさ
れていることを言及する必要がある。
ラテンアメリカにおける連帯経済38
の概念形成は、労働および労働者の自主運営、民衆や
先住民による経済的・社会的および文化的生産や再生産形態、社会変革および資本主義の
29
訳注 : 日本では地域通貨という名称が一般的だが、カタルーニャをはじめとするスペイン語圏諸国で
は moneda social(社会的通貨)という名称が一般的であるため、ここではそれにならう。
30
原注: Favreau, L., Fréchette, L. (2002) Développement local et économie solidaire en Amérique Laine :
Des expériences innovatrices. Université du Québec.
31
訳注: 原語はスペイン語(cooperación, comunidad, compañerismo)であるが、ここでは同書で使われ
ているカタルーニャ語での単語をそのまま取り上げた。
32
原注: Razeto, L. (1984). Economía de la solidaridad y mercado democrático. Santiago: Programa de
Economía del Trabajo (3 冊構成)。また、民衆連帯経済の構成要素の説明については、Razeto, L.
(2010). Desafíos y proyectos de la economía solidaria. Santa Fe: Universidad Nacional del Litoral も参照
のこと。
33
訳注: 天然資源、特に鉱業資源の採掘により得られる収入を基盤とした経済構造に反対する運動を
指す。
34
訳注: 民衆教育においては、「被抑圧者の教育学」(P・フレイレ著、三砂ちづる訳、亜紀書房、2011)
が代表的な著作である。
35
原注: Singer, P. (2006). “Senaes: Uma experiência brasileira de economia solidária”. In: Carvalho de
França Filho, G., Laville, J.-L., Medeiro, A., Magnem, J.Ph. (org.), Ação pública e economia solidária: Uma
perspectiva internacional. UFRGS (pp. 201 – 210).
36
原注: Gaiger, J. L. (2008). A economia solidária no Brasil: Refletindo sobre os dados do primeiro
mapeamento nacional. UFSC; Gaiger, J. L. (coord.) (2014). A economia solidária no Brasil. Uma análise
de dados nacionais. São Leopoldo: Oikos.
37
原注: Fórum Brasileiro de Economia Solidária. A trajetória do movimento da Economia Solidária no
Brasil.
38
原注: 1998 年から 2004 年にかけて Nexe 誌(バルセロナ)の 13 巻において刊行された一連の記事
(Núñez, Coraggio, Razeto, Melo, Guerra…)を参照。
断絶に力点が置かれている。このため、明らかに政治的な意味合いのある議論であり、エク
アドルやボリビアの憲法においては連帯経済が言及されるまでに進展している。
一般的に連帯経済の概念は、オープンかつ集積的なものである。公式化され、世界各地
における何千もの実践例から、そして新たな知識の追加やその他概念との差別化が可能と
なる理論的貢献から生まれる新たな概念39
を組み込むことで、より豊かなものとなっている。
社会的経済、第 3 セクターと連帯経済
1. 社会的経済
登場順に紹介すると、母体となる概念は社会的経済である。実際、産業化の進展や、それ
により引き起こされた都市や社会、そして経済の変革を背景として、1830 年代から 1840 年代
にかけてこの概念が使用され始める。最初にこの概念を使った、デュノワエ(Dunoyer)、ペク
ール(Pecqueur)、ビダル(Vidal)やレルー(Léroux)は、貧相な社会的状況に注意を向ける変
革の先頭に立っており、諸国家の富は市民の自由な取り組みや資本主義市場の結果である
という政治経済学から距離を取っていた。個人の利益追求を伴ったこの市場が、経済生活の
要石およびエンジンとなっていた。
政治経済学の古典的論者の楽観論を前に、劣悪な生活・労働条件を示し、また多くの場
合糾弾し、それに対処する措置を提案する声が高まった。労働の組織化と価値に働きかける
声もあれば、一連の経済的・社会的活動に影響を与える声もあり、官民の慈善活動という伝
統的な機構を修正しようとする声もあった。窮乏や貧困をどのように解決するかが、19 世紀
のこれら知識人の主な懸念であった。
別の種類の声は、民衆および労働者の同じ系列40
から発せられるものである。階級の自
己認識41
という複雑なプロセスの中で、結社の要求と最初の相互扶助団体、抵抗団体、そし
て後に最初の協同組合が、フランス革命の原則である自由・平等・博愛と並んで連帯が最重
要の価値観となる声を結集し、これが 1830 年代から 1850 年代にかけて英仏両国において、
労働者の結社、要求および協同組合の世界における願望に反映され適応した。英国では
1844 年にロッチデール協同組合という先駆者協同組合の一つが発足し、その主な功績として
規定された原則は、改正を経て現在も存続している。経済活動において民主主義を導入して
おり、資格を持つ労働者の自主運営能力を実証していた。擁護していた価値観が実践に応
用できるという確実性を強調しており、組織形態や提案を通じて、当時支配的だったモデルへ
のオルターナティブを示していた。
39
原注: これが、米国のネットワークが連帯経済に対して与える意味合いである。Kawano, E., Neal
Masterson, T., Teller-Ellsbertg, J. (ed). Solidarity Economy I. Building alternatives for people and planet.
Amherst: Center for Popular Economies を参照のこと。
40
原注: Rancière, J. (1981). La nuit des prolétaires. Archives du rêve ouvrier. Paris: Fayard.
41
原注(訳者の判断により原書である英語版紹介): Thompson, E. P. (1963). The Making of the English
Working Class. London: Victor Gollancz.
ポルトガルにおける社会的経済の開始に関する研究42
では、経済の説明書の刊行を始め
た者、当時のチャリティや慈善団体の変革を志向した者、そして初期の労働者団体の声とい
う、3 つの範疇の間で行われた議論を示している。その背後には、社会主義者かつ数多くの
組織の共同創設者であり、中心的な価値が労働である社会的経済に関する興味深い説明書
43
の著者である、ブランダウン・ソーザ(Brandão Sousa)という素晴らしい著述家がいる。初期
におけるイベリア半島の別の知的貢献は、1840 年にすでに社会的経済に関する著作を編纂
44
しており、そのうちの 2 章が同年ポルトガル・ポルト市の文学雑誌に掲載された、スペイン・
ガリシア州の多才な経済学者で社会改革者であったラモン・デ・ラ・サグラ(Ramon de la Sagra)
45
が挙げられる。イタリアではヴィガノー(Viganò、1806~1891)、ルッツァッティ(Luzzatti、1841
~1927)、そして特にマッツィーニ(Mazzini、1805~1872)が、(大規模に拡大していた)共済
組合や民衆融資、そして協同組合運動を擁護し46
、国際的な解放という理想を捨てることなく
イタリア国家が築いていた社会を肯定した。
社会的経済の思想史において最も影響力のある著者の一人で、1900 年のパリ国際万博
で協同組合パビリオンを実現したシャルル・ジッド(Charles Gide、1847~1932)が、19 世紀末
にイデオロギー上の分類を確立した際、4 つの大きな潮流47
を区別した。まずビュシェ(Buchez、
1796~1865)、ラムネー(Lamennais、1782~1854)、そしてその後社会学者ル・プレー(Le Play、
1806~1882)と、ドイツ初の農業信用組合を伴うライファイゼン(Raiffeisen、1818~1888)など
を擁する社会的キリスト教派、2 つ目にデュノワエ(Dunoyer、1786~1862)48
やトクヴィル
(Tocqueville)を含む自由主義者、3 つ目に社会主義者、そして最後に連帯派となる。最初の
二派にとっては、国家の独裁能力を制限し、アソシアシオニスムや社会参加を促進する中間
組織の創設が重要であった。ブルジョワ(Bourgeois)とレルーの連帯派49
は典型的なフランス
学派であり、共和国が社会正義の主な保証人となるべきだと考えていた。社会主義者はいわ
ゆる空想社会主義、マルクス主義やアナーキズムからの数多くの知的貢献を得ていた。
これら知的貢献や議論について、ここで全て紹介することはできない。本来であればそれ
ぞれについて詳しく紹介すべきだが、フランスからはフーリエ(Fourier、1772~1837)、カベー
(Cabet、1788~1856)、サン・シモン(Saint-Simon、1760~1825)、プルードン(Proudhon、
1809~1865)、フローラ・トリスタン(Flora Tristán、1803~1844)、ブラン(Blanc、1811~1882)
そしてその支持者ら(コンシデラン(Considérant)やゴダン(Godin)など)、英国からは 1828 年
に雑誌「協同者」を創設した英国人のキング(King、1786~1865)とウェールズ人オーウェン
(Owen、1771~1858)が、さまざまな実践で労働者の願望を満たした。彼らは全て現行の制
42
原注: Estivill, J. (2017), “Os primórdios da economia social em Portugal. 1ª parte”, Rec. Sociologia
(Porto), XXXIII.
43
原注: Brandão Sousa, F. M. (1857), Economia Social. O Trabalho. Lisbon: Typografia do Progresso.
44
原注: Sagra, R. (1840). Tratado de economia social. Madrid: Imprenta de Ferrer y Compañía.
45
原注: サグラの生涯と著作についての説明は、Estivill, J. (2017). “Os primórdios da economia social em
Portugal. Contributos de Ramón de la Sagra. 2a parte”, Rev. Sociologia (Porto), XXXIV を参照。
46
原注: Fabbri, F. (2011), L’Italia cooperativa. Centocinquant’anni di storia e di memoria. 1861-2011.
Roma: Ediesse.
47
原注: Gide, C. (1890), Quatre écoles d’économie sociale. Université de Genève.
48
原注: Dunoyer, Ch. (1830). Nouveau traité d’économie sociale. Paris : A. Sautelet, Liraires-Éditeurs (2
巻).
49
原注: D’Hombres, M. (2015), Du solidarisme à l’économie solidaire. Lyon: Chronique Sociale.
度およびその基盤(個人主義、競争、私有財産、権力の独裁形態、宗教的信仰など)を批判
しており、代替的な社会的および経済的組織プロジェクトを考案し、道義的には兄弟愛と社会
正義により導かれる理想的な社会を擁護した。
マルクス主義から空想的と非難されたにもかかわらず彼らは全員、イカリアやファランステ
ール、ファミリステール50
、労働者共同体、国民工場、実験入植地、協同組合村など、具体的
な実例の実践を提案した。これら著者により実現可能51
とされたユートピアは、カタルーニャや
アンダルシアにおける立ち位置に影響を与え、欧州全体に広がった。火の粉のように、リバタ
リアンや社会主義者の希望が旧大陸の街路や工場を駆け巡り、民衆階級の心を満たした。
そしてその提案内容の実現は、英国のニュー・ラナーク(New Lanark)やフランスのギーズ
(Guise、1870~1968)52
で模索され、国境を開いていた米国における、インディアナ州ニュー・
ハーモニー(New Harmony)、ニューヨーク州オネイダ(Oneida)、テキサス州ブリスベーン
(Brisbane)などの実験のいくつかにも着想を与えた。
1860 年代の集産主義および反権威主義の思想が支配的だった第一インターナショナルに
おける特に好意的な位置づけを基にして、労働者階級の中で労働組合が生み出した論議の
詳細をここで述べることはできない。マルクスを含めここでは、階級の敵対を超越し、将来の
共産主義社会の形成に到達し得る「自由人連合」の具体的な表現が目撃された。しかし、プ
ルードンにとっては個人の自由結社、共済主義団体や無料の融資が、新たな社会を建設す
る連合の基盤であった一方、資本主義の政治的広がりを協同組合が超越することはできな
いと示す展望で彩られていた。協同組合が資本の罠または階級闘争の逸脱だと主張したア
ナーキズムの最も急進的なグループからの反対は、第一インターナショナル(1866~1872)お
よびその後行われた協同組合運動に関する議論において反映されていた。
また社会的経済の構成に貢献したものとして、カンパネッラ(Campanella)、トーマス・モア
(Thomas More)、ラブレー(Rabelais)やベーコン(Bacon)といった、はるか昔のルネッサンス期
の空想や、シスモンディ(Sismondi、1773~1842)、スチュアート・ミル(Stuart Mill、1806~
1873)、ル・プレーおよびワルラス(Walras、1834~1910)といった、その後の社会科学者の業
績も存在している。
協同組合運動、アソシアシオニスムおよび共済組合運動は、社会的経済を具現化する主
な組織形態である。これらはそれぞれ独自の道のりを進んでおり、いくつかの不利な要素は
共通しているものの、その道のりは国ごとに異なっている。投資資本を持たない生産協同組
合に対して、大量生産は打撃を与えている。スーパーやショッピングセンターなどといった大
量消費は、大規模な消費者協同組合によってのみ克服可能である。ビスマルク期のドイツに
おける最初の公的保険の創設は、ニーズに応じて自主的に解決する労働者運動の能力に対
する打撃となった。福祉国家および経済成長はアソシアシオニスムを従属的なものとし、貧困
対策や現在におけるレジャーやスポーツのようなその他の機能へと追いやる傾向にある。社
50
訳注: これら 3 つは全て、上記の空想社会主義者らの提唱に沿って作られた共同体の名前である。
イカリアはカベーの思想に沿って米国各地で、ファランステールはフーリエに思想に沿って、そしてファ
ミリステールはゴダンの思想に沿って、19 世紀にフランスやベルギーで創設された。
51
原注: Estivill, J. (2018), “Économie solidaire. Utopies du possible“. Rev. Politiques Sociales (Bruxelles).
52
原注: Draperi, J. F. (2010), Godin, inventeur de l’économie sociale. Valence: Repas.
会的経済は第 2 次大戦後の期間、体制の一部に入ることでその存在を確立したが、苦難の
時代を経験した。
オイル・ショックの影響が顕著となり、福祉国家が衰退し始めた 1980 年代初めに、さまざ
まな分野の社会的経済の新たな推進および再発見が行われたのは、偶然ではない。フラン
スではアソシアシオン、共済組合および協同組合運動が共通の枠組み(CNLAMCA)53
として
結集し、1980 年にその特徴を「公共部門に属さず、会員間で平等の権利と義務とともに民主
的な機能および運営を備え、利益を配分し、その剰余については団体の成長および会員や
社会へのサービスに割り当てる団体」と再定義した。
文化的および言語的に分断した社会においてキリスト教、社会主義者と自由主義者の関
係者が結集して協同組合運動や共済組合運動、労働組合運動そして政治を推進する歴史と
いう別の社会的経済の伝統があるベルギーでは、1990 年にワロン54
社会的経済評議会がフ
ランスとは別の形で、「民間の性格で、利潤配分において資本よりも人間および労働者を優
先し、利益より前に人間または集団への奉仕」とこの経済を定義した。
これら両定義は、社会的経済の潜在能力および限界を明確に示す。フランスの定義は公
共部門を、ベルギーの定義は市場を参照対象としている。これにより社会的経済は国家と市
場との間で道を開き、個人を基盤として、そして個人や社会に便宜を与える形で、参加型運
営が行われることになる。
2. 第 3 セクター
第 3 セクターの概念の歴史はより短い。プロテスタント文化の米国で、NPO や財団の意義
が増大している点を社会科学者が確認した 1970 年代に生まれたものである。同国は、個人
の努力の文化が支配的で、蓄積できた富の一部を地域社会に還元する義務があり、万人の
全てのニーズをカバーしない公的社会保護という特異な制度がある国である。その視点から
は第 3 セクターは、非営利のもとで、市場(第 1 セクター)も国家(第 2 セクター)も解決しない
ニーズに対処するものと規定される。このため従属的かつ補完的で、3 番目の場所を占める
こととなる。長年の間、そして多くの国でこの第 3 セクターは、政府により、低価格で特定のサ
ービスの提供を委任および外注化すべく使われてきた。スペイン55
や欧州56
においては、ボラ
ンティア組織の範疇を定めようとした数多くの研究者により長年批判された、制度化である。
この分野においてまさに最も重要な研究の一つが、その定義および数値化の意図ととも
に実行された。1991 年に米国のジョン・ホプキンス大学が、13 か国にわたる大規模な比較研
究を行い、対象範囲はその後 45 か国へと広がることになる。研究対象となる非営利団体の
範囲を決める基準は、組織の継続性、民間の性格、収益の再投資、内部参加およびボランテ
53
原注: Duverger, T. (2014), “La réinvention de l’économie sociale : une histoire du CNLAMCA“. Revue
Internationale de l’Économie Social (Paris), 334.
54
訳注: ベルギーは北部のフラマン語(オランダ語の方言)地域と南部のワロン語(フランス語)地域に
大別され、首都ブリュッセルは両言語の併用地域(といってもフランス語が優勢)だが、社会的経済は
伝統的にフランス語圏である南部で盛ん。
55
原注: Casado, D. (comp.) (1992). Organizaciones voluntarias em España. Barcelona: Hacer.
56
原注: Casado, D. (comp.) (1997). Entidades sociovoluntarias en Europa. Barcelona: Hacer.
ィア活動である。非常に曖昧な基準により、私立大学、ペタンク57
のプレイヤーのチーム、障
碍者の作業所やお祭りを開催するための町内会も含まれることになった。協同組合、共済組
合やインフォーマルな取り組みが除外されたことから、イタリアやフランス、スペインやポルト
ガルの報告書においては多大な困難を抱えることになる。同様に研究は、第 3 セクターに対
して世界的な注目を集め、各国の雇用や GDP における、さらにはその融資形態の多様性の
重要性を示すことができた。
並行して、しかしそれより多少遅れて欧州でも、第 3 セクターの刷新および社会的企業に
対する関心が高まった。1992 年時点ですでに、ラテン的な展望の中で欧州における範囲の
制定を意図すべく、包摂の経済的広がりという視点の下、フランス・ボーヌ(Beaune)において
最初の会議が開催されている58
。同年ベルリン59
において、そして 2 年後にはドイツ・デッサウ
(Dessau)60
にて、大半の参加者がアングロサクソン系の会合が 2 回行われ、そこでは相互扶
助、社会的企業やコミュニティビジネス、そして地域発展に関する考察が行われた。1995 年
に欧州生産協同組合総連合(CECOP)が、9 か国における社会的企業の状況に関する報告書
を発表する会議を行った61
。この時期が決定的であり、1997 年に欧州委員会は、第 3 セクタ
ーおよび雇用に特化したプログラムを開始した。それ以前欧州委員会は社会的経済専門の
総局を擁していたが、零細企業専門の部署へと改変されることになる。その組織および各国
政府の関心は、労働市場への挿入と新たな雇用創出源に結び付いた雇用創出であり、第 3
セクターが運営する地域サービス62
が主要要素となり得る分野であった。
1996 年に、西欧各国の数多くの専門家が加盟するネットワーク EMES が創設され、欧州諸
機関の資金援助を受けて第 3 セクター、社会的経済および社会的企業に関する数多くの研
究63
を行う。これらの取り組みでは、マックス・ウェーバーの意味において理想的な形態を定
義し、欧州各国に適用され、そして最終的には北米の事例64
と比較される基準を 9 つ65
規定す
る研究が行われた。
57
訳注: フランスで生まれたスポーツ。ゲートボール同様、公園内でプレイされることが多いが、ゲート
ボールと違ってボールを投げ合う。
58
原注: Lejeune, R. (1992). L’Europe et l’insertion par l’économique. Paris: Syros.
59
原注: この会合において、ドイツやスコットランド主体の欧州経済自助・地域開発ネットワークが生ま
れた。
60
原注: Döring, R., Kegler, H., Zimmermann, K. (1996). People’s economy. Approaches towards a new
social economy. Dessau: Bauhaus Dessau Foundation.
61
原注: CECOP (1995), Les entreprises sociales. Une chance pour l’Europe. Bruxelles.
62
原注: Eme, B., Laville, J.-L. (1994). Cohésion sociale et emploi. Paris: Desclée de Brouwer.
63
原注: 例えば、Defourny, J., Favreau, L., Laville, J.-L. (1998). Insertion et nouvelle économie sociale.
Paris: Desclée de Brouwer; Borzaga, C., Deforuny, J. (dir). (2001). The emergence of social enterprise.
London: Routledge; Nyssens, M. (dir) (2006). Social enterprises. At the crossroads of the market, public
policies and civil society. London: Routledge を参照のこと。
64
原注: Doeringer, M. F. (2010), “Fostering social enterprises: An historical and international analysis”,
Duke Journal of Comparative Law, 20; Kerlin, J. A. (2006). “Social enterprises in United States and Europe:
Understanding and learning from differences”, Rev. Voluntas, 17: Defourny, J., Nyssens, M. (2010).
“Conceptions of social enterprises and social entrepreneurship in Europe and United States:
Convergences and divergences”, Journal of Social Entrepreneurship, 1 (1).
65
原注: EMES の J・ドフルニ理事長へのインタビュー in: Seghers, V., Allemand, S. (2007), L’audace des
entrepreneurs sociaux. Paris: Autrement (pp. 168 – 173)
1990 年代末には、社会的企業66
の概念がさまざまな実践例や感受性を束ねるように思わ
れた。イタリアの社会的協同組合、フランスやドイツの包摂企業、スコットランドのコミュニティ
ビジネス、さまざまな様式で存在する就業支援の作業所、そしてより経済的な新活動分野を
見つけようとしていた NPO 業界全体を受け入れることができた67
。長年にわたってそのサービ
スのかなりの部分を分散化および委託していた各国の国家からも好ましく思われ、企業の社
会的責任の観点からも具体的な枠組みを提供できた。企業のオルターナティブな取り組みの
いくつかさえもが、社会的企業のモデルの中で認識可能であった。
その後、社会的企業の概念は長い道のり68
をたどることとなる。米国の大手ビジネススク
ールから発生し、英国では 2001 年から公的サポートプログラムが存在する社会的起業を流
行させた新自由主義の波が欧州に蔓延し、2000 年代後半に加速し、現在まで続いている。こ
の加速により、商売としての側面が強調されている。欧州委員会はその概念を取り入れ、「社
会的経済の企業で、利益創出よりも社会的インパクトを主要目的とするもの」69
と言及しており、
2011 年に開始したソーシャルビジネスイニシアチブというプログラムは、欧州連合の全加盟
国に広がり、スロベニア(2011 年)、クロアチア(2015 年)、オランダ(2012 年)、リトアニア
(2015 年)、ルクセンブルク(2016 年)やギリシャ(2011 年)などの国では、専門の法律が誕生
している。
定義の曖昧性により、その傘下にはあらゆる種類の企業70
を含むことができる。社会的企
業への公共財やサービスの割り当ては往々にして民営化の過程を隠蔽し、その一方でソー
シャルボンド、企業の社会的責任や社会的インパクト投資のための民間資金などの提案とと
もに展開される。社会的企業という現在の潮流により、確かにそのうちいくつかは連帯経済に
入ることが示されるが、個人の努力やビジネスの視点、市場における効率を優先する概念、
そして資本主義特有の経営やマーケティング技術の採用を含むことから、大半は連帯経済に
は程遠い。これはせいぜい、資本主義を道徳的にしたものである。
3. 連帯経済
ある意味では連帯経済は、社会的経済の娘だといえる。この娘は反逆的で、母の現状維
持や硬直化を受け入れず、自らの構築が行われるにつれ登場する新たな特徴を導入してい
るが、それらはさらなる環境意識、女性の役割や差異の権利に対する認識の強化、経済生
活における民主主義と平等の導入という明らかな意思、社会的・文化的変革の展望、新たな
政治文化である。ラテンアメリカで最も認知度の高い著述家の一人であるパウル・シンジェル
(Paul Singer)71
は、労働者階級の中で増えつつあるグループが正規の給与労働から疎外され、
自主運営形態を採用するようになると、連帯経済はその意義を見出すと擁護している。
66
原注: Estivill, J., Bernier, A., Vadalou, C. (1997). Las empresas sociales en Europa. Barcelona: Hacer. 同
書はフランス語やドイツ語でも刊行されている。
67
原注: Laville, J.-L. (2004). The third sector in Europe. Cheltenham: Edward Elgar.
68
原注: Estivill, J. (2015). “Empresas, emprendedurismo y empresariado social”, Rev. Economía Solidaria,
8.
69
欧州委員会 (2016). Social enterprises and social economy going forward. Brussels (pp. 50 – 53) .
70
原注: Sarwar, G. (2013). Paradoxes of social entrepreneurship. Gevena: UNSRID conference.
71
原注: Singer, P. (2017). Ensaios sobre economia solidária. Lisboa: Almedina (p. 33)
XESの法案72
において策定された定義は幅広く、幅広過ぎるものかもしれないが、それを特
徴づける全ての側面を含んでいる。こうして連帯経済は、「NPO 的および協同的という形で構
成員が、連帯・協同・寄付・互恵性および自主運営の関係に基づいて導かれるニーズの充足
のために、そしてあらゆる人たちの生活のブエン・ビビール73
、再生産および持続可能性の目
的で、自然・文化的共有財や経済と社会の平等主義的な変革を擁護しつつ、財やサービスの
生産、取引、経営、余剰の分配、通貨、消費および融資プロセスを、民主的かつ必ずしも営
利を追求しない形で創造・運営および発展させる一連の社会経済的取り組み」となる。この定
義の包摂的かつ自由意志的な性格を確認すべく、この提案ではそれを裏付ける法人形態
(協同組合、財団、NPO、共済組合)が認識可能だと追記されるが、有機農業、市民農園、マ
イクロファイナンス、集団信用基金、財やサービスの交換市場やネットワーク、社会的通貨、
地域社会による機材の自主運営、文化的およびデジタルの共有財、相互支援と介護の接点、
社会的に有用なテクノロジー、そして共有型住宅・通信・交通の実践例といった、法人格を持
たないその他の新興の協同形態も含まれる。
定義が法人形態に拘束されず、インフォーマルな取り組みを含んでいる点は、興味深いと
言わざるを得ない。連帯経済の理念に合意する市民の団体が、連帯経済に属すことを決め
る。示すべき別の側面としては、経済の回路全てにおける民主主義の導入であり、これは協
同、寄付、互恵性、自主運営と連帯というニーズや関係により導かれている。自主運営が、戦
略決定におけるあらゆる構成員の意思表現や参加を可能とする実践例であること、またチャ
リティや利他主義、または慈善事業による貧困対策に明らかに意義を唱える、例えば最大の
賃金格差が 3 倍といった、平等な者同士の間での収益の平等な配分形態として連帯が理解
されていることを明らかにする必要があるかもしれない。最後に、社会制度への抵抗の要素
として、オルターナティブや社会変革の実践の生成場所として、要求型、反発型および反乱型
政治表現の空間として、さらには可能なユートピアの提案として提起されていることから、連
帯経済が政治的な広がりを持つことは否定できない。連帯経済は、生産至上主義で家父長
制的的な資本主義への実践的な批判である74
。
ラテン系諸言語では、経済(カタルーニャ語では economia)と連帯(同じく solidària)という
両単語を結びつけることは困難を来さない。また、経済と社会については、経済全てが社会
的な文脈の中で発展することから同語反復であるという必要があるが、この文脈により規定
され、社会に対しての結果を持つ。ドイツ語では Gemeinwirtschaft という用語が「共同体経済
または集団事案の経済」を意味し、このためドイツ語話者は、民間経済と公共経済の社会的
経済を組み合わせる傾向にある。そしてさらに、この視点が、ゲルマン系のルーツを持つ
CIRIEC(国際公共経済学会)の基盤にあることも明らかにしなければならない。英語では social
economy は一般的に用いられる用語でなく、solidarity economy についてはさらに使用頻度が
下がるが、特にアイルランドでは最近前者が使われるようになり、米国では後者を使うことに
何の問題もない。しかし実際のところ英語圏諸国では「非営利経済」(non profit economy)ま
たは「共有経済」(sharing economy)という名称が好まれる。これら用語上の差異は、経済や
72
原注: Xarxa d’Economia Solidària (20915). Proposta de llei. Barcelona.
73
訳注: 南米先住民の言語ケチュア語の Sumak kawsay をスペイン語訳したもので、自然と調和しつつ
需要を満たした生活を送れることを指す。
74
原注: Garcia, J. (2017). L’economia solidària en cent paraules. Barcelona : Icaria.
文化の異なる伝統を意味するものであり、単に翻訳のみならず、英語圏世界とラテン世界と
の間の対話も困難にする。
いずれにしろ、社会的経済、第 3 セクターおよび連帯経済という概念の間には、相違点も
類似点も存在する75
。概念の中には違いを強調するものもあれば、最小化するものもある。次
の表では、類似点と共通点を示す試みが行われる。
表 1: 社会的経済、第 3 セクターと連帯経済の類似点と相違点
社会的経済 第 3 セクター 連帯経済
起源 19 世紀 1980 年代 1980 年代
発生理由
産業資本主義の
負の結果
国家や市場経済の
対象外
社会制度への批判
および社会的反逆
経済的論理 非営利 非営利 経済的民主主義
社会原則 補償 補完性、従属性 互恵性、連帯
目的
組合員および地域
社会の状況改善
脆弱な状況への
対応を提供
エンパワーメント
および社会変革
典型的組織形態
協同組合、NPO、
共済組合
NPO、財団
協同組合、NPO
およびその他
非公式の団体
内部運営 参加型 NPO 型、企業型 自主運営型
主な担い手 政府機関 団体と専門職 市民の集団
受益者
個人組合員
および社会
組合員および
無視された集団
組合員、集団
および社会
75
原注: ケベックにおける視点については、Poirier, Y. (2014). Solidarity Economy and Related Concepts.
Quebec を参照のこと。
第2章 過去の回想
連帯経済の歴史は、至る場所で今後作られるものである。わずか30年前に登場した概念
であるため、現在まで歴史学者が、過去を説明するためのカテゴリーとして使用してこなかっ
たのは当然のことである。しかしながら、だからといって過去存在しなかったわけではなく、連
帯経済の歴史的視点に含めることができる出来事、概念、闘争、人物および組織についての
知識はますます増えている。
この視点を明らかにすべく、アソシアシオニスム、協同組合運動および共済組合運動の歴
史の一部を統合する新たな概念カテゴリーを構築し、連帯経済の特徴からその進化の最も重
要な出来事を再解釈する必要がある。さらに、生存のために男女が集団で行った数多くの努
力および労働の隠された歴史も組み込む必要がある。かくして、発見すべき宝物に満ちあふ
れた友人である歴史はわれわれに対して、現状の解釈の改善を手助けしてくれるのである。
支援、相互協力とコモンズ
現在のところ、この過去の分析を開始可能とする展望は2つ存在する。最初のものは、切
迫したニーズを解決すべく個人や家族、地域社会が行った、および行い続けている、公式化
された、またはされていない、自然を改変する努力を指す。先史時代より人類は、生存および
最も過酷な生存条件に直面すべく、組織を運営してきた。人類の歴史において一次的な社会
的ネットワーク(家族、友人、隣人)が何よりも重要な役割を果たし、無限ではないが互恵性、
贈与および連帯を実践してきた。現在まで続く家父長主義的社会において女性は、再生産の
みならず最も脆弱な者の介護においても主要な役割を果たしてきたが、多くの場合それは認
識されていない。
この点は、2011年にバルセロナで開催された欧州連帯経済ネットワークの設立記念会議
における、「旧大陸の最も小さな村落において男女が集まり、そのニーズに対応すべく集団で、
かつ参加型の回答を出し、社会的連帯経済を推進してきた」という宣言文でも確認されている。
個人主義の競争に対抗して連帯経済は、有益な協力を確認する。そしておそらく、この態度こ
そが集団生活を送る動物、特に霊長類における共同生活の基盤であることを思い出す必要
があるだろう76
。同様に、ゲラン(Gueslin)77
が示し、欧州各地域や他大陸に広がる、今日まで
の生存において相互扶助の主な戦略となって来た数多くの例(チーズ共同工場78
、職業訓練
制度79
やギルドなど)も思い出す必要がある。中南米で幅広く実践されている連帯経済の展
望を理解するために不可欠な、支援および互恵性である。
また中南米からは、先住民文化から出現し、自然や大地とより調和した生活およびその多
様性にさらなる敬意を持つ意味でこれらとの関係についての再考をわれわれに促し、人間中
心から自然中心に、そして欧州中心から地球中心の視点へと転換するブエン・ビビール80
の
概念も発生している。すなわち、考察の中心が生物全てであり、連帯経済をめぐって出現す
る知識が初めて、世界全体にルーツを持つこととなったのである。
76
原注: Servigne, P., Chapelle, G. (2017). L’entraide. L’autre loi de la jungle. Paris: Les Liens qui Libérent.
77
原注: Gueslin, A. (1987). L’invention de l’économie sociale. Paris: Economica.
78
訳注: フランス語で fruitière と呼ばれるもので、酪農地帯の農家が共同でチーズ製造工場を運営す
るもので、フランスからスイスにかけての酪農地帯で現在でも使われている。
79
訳注: フランス語で compagnonage と呼ばれる制度で、パン屋や屋根の修理、時計屋や石工など職
人の技を伝える伝統的な制度。
80
原注: Acosta, A. (2013). El buen vivir. Una oportunidad para imaginar otros mundos. Barcelona: Icaria.
カタルーニャにおいては、歴史の闇に隠れている、相互支援と協力が集団的取り組みの
モザイクにおいて存在し続けていた。自己消費向けの家庭内生産、種蒔きや収穫時における
相互協力、農作業におけるもやい、水道や火災の共済組合およびバレンシア81
における農業
用水管理機構、病気や葬儀の際の相互扶助組織、共有の礼拝堂・かまど・鍛冶場および風
車、灌漑者や漁師の共同体、共同の貯蔵所や醸造所、共有地、森林や農地、牧草地や共有
地の手入れと利用、合同での手工業、隣人同士の協力である。この意味ではおそらく、「夜明
けより前に隣人を」、すなわち自分の農地で農作業をすべく、時間前に自らの「隣人となった」
者の助けに出る必要があるという、アンドラ82
の古い教区の教えが意義深いものとなるだろう。
地域社会との一体化の基盤となり、個人や家族の不幸、さらには集団の脅威および危険(洪
水、火事、雪崩など)に直面できるようにすべく選択された互恵性の道義的義務を強調するス
ローガンである。
ダビード・アルガラ(David Algarra)83
の著作のおかげで、カタルーニャにおける共有財の道
のり、すなわち歴史に登場しない一般民の歴史がより詳しく知られることとなる。彼によると、
最初のキリスト教信者らによる平等主義や、ローマ帝国への反乱によりその長い道のりが始
まり、共有財(道路、水道や泉、牧草地、森林、入会地)の共同管理において中世末まで、そ
の使用慣習により管理されていた、農村社会における開かれた評議会の創設として続いた。
英国の歴史家エドワード・P・トンプソン(Eduard P. Thompson)84
が名付けるように、市場の覇
権が強まるにつれ、このような大衆の道義経済を終焉させようとした。地域社会における民衆
の力は、土地の私有化と自由主義的国家の確立により19世紀末頃、接収により終焉すること
となる。しかし共有財の発展は継続しており、19世紀末の民衆の結社形態と関連し、イバン・
ミロ(Ivan Miró)85
が提唱するように、有形財および無形財として、デジタル世界、通信、水道
や電力、そして施設の共同管理という形で今日まで続いている。ウィキペディアは、連帯経済
の中に入るバーチャルコモンズの好例である。
アソシアシオンや協同組合の枠組み
2つ目の展望は、アソシアシオンや協同組合の枠組みが提供する。この仕組みの痕跡は、
同業者団体や組合の長い伝統が始まり、カタルーニャ語圏において非常に長く継続した12世
紀に探し求めなければならない。設立当時より、生産活動および組合員の支援という二つの
目的に向けて主要業務を展開していた。ルメウ・デ・アルマス(Rumeu de Armas)の古典著作
86
によると、14世紀には同業者組合が迫害を受けていたスペイン語圏の地域よりも、カタルー
ニャ、バレアレス諸島およびバレンシア王国87
において同業者組合が発展していた。施設・商
81
訳注: バレンシアはカタルーニャ州外であるが、ここでは同都市圏で水資源の管理のために現在ま
で定期的に開催される会議のことを指す。
82
訳注: 訳注 8 で示した通り、アンドラはカタルーニャとフランスの間にある、カタルーニャ語を公用語と
する独立国。
83
原注: Algarra, D. (2015). El comú català. La història dels que no surten a la història. Barcelona: Potlach.
84
原注: Thompson, E. P. (1971). “The moral economy of the english crowd in the eigtheenth century”,
Past and Present, 50; Thompson, E. P. (1995). Costumbres en común (capítol “La economía moral
revisada”). Barcelona: Crítica.
85
原注: Miró, I. (2017). “Coops & communs. Vers l’autogovern del comú”. In: DD.AA. (2017). Esmolem les
eines. Debats estratègics de l’economia solidària. Barcelona: Icaria, Tigre de Paper i Pol·len.
86
原注: Rumeu de Armas, A. (1981). Historia de la previsión social en España. Barcelona: El Albir.
87
訳注: バレンシアという名称は、バレンシア市に加え、同市を中心とするバレンシア県およびバレンシ
ア州の 3 つの意味を持ち、地域主義者の間では「バレンシア州」(Comunitat Valenciana)ではなく「バレ
ンシア国」(Païs Valencià、英語に直訳すると Valencian Country。バスクのことを País Vasco とスペイン語
品の生産および財やサービスの価格の管理能力に基づくその成熟は、その内部規則(開始、
研修、権利と義務、階層化、独占権など)の規定とともに非常に強力なものであったため、バ
ルセロナの市役所に代表を有した業種の数が13世紀には19だったが、200年後には45へと
増えた。その経済的・社会的および政治的重要性が増し、社会や経済を結びつけるモデルと
なった。これら階級全ての協力を義務付ける「コーポレートの調和」はカトリック教会にとって
手本となり、教会はその後、レールム・ノヴァールム(1891)やクアドラジェシモ・アンノ(1931)と
いった回勅88
でこれを取り上げ、ムッソリーニ体制のイタリア、サラザール体制のポルトガルそ
してフランコ体制のスペインにおける縦型コーポラティヴィズムとして応用されることとなる 89
。
実際のところ、一般的な組合は地域内の全員を、同業者団体の場合には病気、未亡人や
孤児の世話の場合に組合員を保護対象としており、特に葬儀費用を支弁した。相互扶助と宗
教を非常に重視しており、その専門職的、職業研修的およびコーポラティブ的な側面におけ
る業務を擁護する同業者組合には常に浸透したわけではない。フランスの場合、職業組合は
徐々にコルベール財務総監時代のフランス国家に統合し(1539年、1581年および1597年の
命令)90
、アンシャン・レジームの歯車となり、革命の狂乱の最中の1791年にル・シャプリエ(Le
Chapelier)により禁じられた。その一方でカタルーニャでは、1836年に政府による禁止があっ
たにもかかわらず、19世紀まで存続した。1859年時点においてもバレンシア市内だけで22団
体があった。同様に同業者団体の精神(より兄弟愛的かつ民主的なその特徴)、そして往々
にしてそのシンボル(旗、盾、規則など)が、やはり1834年に禁止され、それゆえ存在しなくな
ったポルトガル91
と同様、相互支援の最初の団体の中に反映されている。
カタルーニャ語圏地域における独自の結社能力は、疑問の余地がない。カタルーニャに
関するペーラ・スラー(Pere Solà)92
およびアルナバット・イ・ファレー(Arnabat i Ferré)の最新の
著作93
、バレンシア州におけるクコー(Cucó)94
およびマルティネス(Martínez)95
の研究、さらに
バレアレス諸島におけるサンタナ・モーロ(Santana Morro)96
の研究は、19世紀を通じて、そし
てスペイン内戦まで、カジノやアタネウ97
、教育機関、文化センター、サークル、集会所、支援
で呼ぶのと同じ発想)という表現も使われるが、ここではアラゴン連合王国の一部としてのバレンシア
王国(Regne de València、現在のバレンシア州とほぼ同じ地域)を指す。
88
訳注: 回勅とは、道徳などの問題に関してローマ教皇が発する文書だが、あくまでも個人としてのロ
ーマ教皇の立場を示すものであり、カトリック教会法を構成するものではない。
89
原注: Estivill, J. (2018). Europa a les fosques. Polítiques socials dels feixismes. Barcelona: Icaria.
90
訳注: ここでのコルベールとは、ルイ 14 世の下で財務総監を務めたジャン=バティスト・コルベール
のことを指すと思われるが、年代が合わない。著者に質問すること。
91
原注: Pacheco Pereira, J. (1981). “O movimento operário no Porto: As associações mutualistas (1850-
1870)”, Rev. Analise Social (Lisboa), 65.
92
原注: Solà, P. (1978). Els ateneus obrers i la cultura popular a Catalunya (1900-1939). Barcelona: La
Magrana; Solà, P. (1980). Educació i moviment llibertari a Catalunya. 1901-1939. Barcelona: Ed. 62; Solà,
P. (1983). Cultura popular, educació i societat al nord-est català, 1887-1959. Girona: Col·legi Universitari
de Girona.
93
原注: Arnabat, R., Ferré, X. (2015). Ateneus. Cultura i llibertat. Associacionisme a la Catalunya
contemporània. Barcelona: Federació d’Ateneus de Catalunya.
94
原注: Cucó, J. (1991). El quotidià ignorat. La trama associativa valenciana. València: Institució Alfons el
Magnànim.
95
原注: Martínez Gallego, F. A. (2010). Esperit d’associació. Cooperativisme i mutualisme laics al País
Valencià, 1834-1936. València: PUV.
96
原注: Santana Morro, M. (2002). El forjament de la solidaritat. Mutualitats, cooperatives, societats
obreres i recreatives a Mallorca (1868-1936). Palma: Cort.
97
訳注: 草の根の市民が自主運営する形の民衆学校や文化センターで、カタルーニャには今日でも数
多く存在する。
組織に加え、合唱団、楽団、劇団、図書館、文化セクション、スポーツクラブ、そして特に互助
会、協同組合および労働組合が、分厚い結社の枠組みを構成していた。これらは、文献化さ
れる前に存在した自主運営された連帯経済および民衆文化の表現であり、ほぼ常に民主的
に、非営利で、政府と離れ、場合によっては政府に敵対して運営されていた。
このため、協同組合運動の歴史は全く知られていないわけではない98
。マヌエル・ラバント
ス(Manuel Reventós)99
、スラー・カニサレス(Solà Cañizares)100
およびジュゼップ・マリア・ビラ
ー(Josep Maria Vilà)101
による最も概観的で先駆的な業績や、フェルナンド・ガリード(Fernando
Garrido)102
、アンセルモ・ロレンソ(Anselmo Lorenzo)103
、マヌエル・ブエナカサ(Manuel
Buenacasa)104
またはアバード・デ・サンティリャン(Abad de Santillán)105
などによる労働者運動
の証言者が著した書籍いくつかが、この運動に言及している。第2世代の作家や協同組合運
動家で、協同組合史の記述にとりわけ取り組んだのは、アラディ・ガルドー(Eladi Gardó)106
、
およびその後バントーザ・イ・ロッチ(Ventosa i Roig)107
、ペレス・バロー(Pérez Baró)108
および
ラバントス・イ・カルネー(Reventós i Carner)109
である。ファレー・ジルネス(Ferrer Gironès)110
お
よびガブリエル・プラナ(Gabriel Plana)111
の研究は、すでに1990年代において、最初の刷新を
提起している。最近では別の刷新が行われ、そこではサンツ(Sants)112
やポブラノウ
(Poblenou)113
またはバルサルネータ(Barceloneta)114
地区といったバルセロナ市内の一定地
98
原注 : Estivill, J. (1979). “Cooperativisme. Balanç bibliogràfic”. In: Ictineu. Diccionari de les ciències
socials. Barcelona: Ed. 62 (pp. 126 – 130).
99
原注: Reventós, M. (1925). Els moviments socials a Barcelona durant el segle XIX. Barcelona: La Revista.
100
原注: Solà Cañizares, F. (1934). Les lluites socials a Catalunya (1812-1934). Barcelona: C. Casacuberta.
101
原注: Vilà, J. M. (1937). Els primers moviments socials a Catalunya. Barcelona. Nova Terra 社により
1972 年に再編。
102
原注: Garrido, F. (1870). Historia de las clases trabajadoras. Madrid: Imp. T. Núñez Amor. ZYX 社によ
り 1970 年に再編。また、Ibid. (1879). La cooperación. Estudio teórico práctico sobre las cooperativas de
consumo y producción en Inglaterra y otros países y especialmente en Cataluña. Barcelona: Imp. de
Oliveros も刊行されている。
103
原注: Lorenzo, A. (1946). El proletariado militante. Tolosa: Ediciones M.L.E.-CNT
104
原注: Buenacasa, M. (1966). El movimiento obrero espanyol. 1886-1926. París: Familia y amigos del
autor.
105
原注: Abad de Santillán, D. (1967). Historia del movimiento obrero español. Madrid: ZYX.
106
原注: Gardó, E. (1926). La cooperación catalana. Recopilación històrica.1898-1926. Barcelona: Gráficas
Funes.
107
原注: Ventosa i Roig, J. (1961). El moviment cooperatiu a Catalunya. Ciutat de Mallorca: Rauxa.
108
原注: アルベール・ペレス・バローの歴史家としての業績は、数多くの作品で具現化されている。そ
の中でももっとも代表的なものは、おそらく Pérez Baró, A. (1970). Trenta mesos de col·lectivisme a
Catalunya (1936-1939). Barcelona: Ariel、Ibid. (1972). Les cooperatives a Catalunya. Barcelona; Institut
d’Estudis Catalans、そして Ibid. (1974). Historia de la cooperación catalana. Barcelona: Nova Terra の 3
冊である。
109
原注: Reventós i Carner, J. (1960). El movimiento cooperativo en España. Barcelona: Ariel.
110
原注: Ferrer Gironès, J. (1998). Els moviments socials a les comarques gironines. Girona: Diputació de
Girona.
111
原注: Plana, G. (1998). El cooperativisme català o l’economia de la fraternitat. Barcelona: Universitat
de Barcelona.
112
原注: Dalmau, M., Miró, I. (2010). Les cooperatives obreres a Sants. Barcelona: La Ciutat Invisible.
113
原注: Dalmau, M. (2015). Un barri fet a cops de cooperació. El cooperativisme obrer al Poblenou.
Barcelona: La Ciutat Invisible.
114
原注: Alari, E., Dalmau, M., Gorostiza, S. (2016). La forja solidària d’un barri portuari. La Barceloneta
obrera i cooperativa. Barcelona: La Ciutat Invisible.
区における協同組合の役割を提起した研究が傑出し、ロカ・イ・ガレス(Roca i Galès)財団115
が
刊行した協同組合運動家の伝記シリーズ、そしてより断片的な業績としてはマタロー(Mataró)
市116
に焦点を当てたマルガリーダ・クルメー(Margarida Colomer)117
のもの、また特定の時期
としてはファウラ(Faura)118
のものがある。そして忘れてはならない点としては、カタルーニャに
おける協同組合および共済組合の歴史そのものに言及した単行本である119
。
アソシアシオニスムおよび協同組合の先駆け: 互恵性の絆
カタルーニャにおけるアソシアシオニスムおよび協同組合運動の歴史の体系的な道のり
をここで紹介するには、この歴史を労働者民衆運動の歴史の中に位置づける必要がある。こ
れにより、連帯経済の観点からこの運動を特徴づける主な特徴のうちいくつかを、体系的に
紹介することもできる。
最初の特徴はおそらく、結社権の要求120
であろう。1855年にバルセロナで初のゼネストが
行われていた間、デモ参加者を束ねていた「結社か死か」という横断幕を目にすることができ
た。実際のところ、自らの利益を意識するようになった労働者にとって、結社できることは生死
に関わることだった。自由結社でさえ、新たな組織を構想する方法であった。1839年以降、勅
令により共済団体の結成が可能となった。その2年前より、労働条件の改善や賃上げの交渉
を希望していた労働者委員会による認識により、工場主らを代表する工場委員会との間で綱
引きが行われていた。1840年に織工者組合が、グラシア(Gràcia)村121
で創設された。翌年に
はウロット(Olot)122
で相互保護協会がすでに存在しており、これは同市内のその他の結社4
つ(織工、ベルト工、羊毛職人、仲介業者)と連合していた。1842年にトゥルタリャー(Tortellà)
とジローナ(Girona)にて、同様の相互扶助団体が誕生する。ファレー・イ・ジルネスによると、
協同組合の最初の構想はアルト・アンプルダー(l’Alt Empordà)郡123
で、特にジュアン・トゥタウ
(Joan Tutau)により導入され、1843年から1867年にかけて最も多い数の共済団体が集中して
いた124
。場合によっては、ラ・ウマニタリア・ダ・ジュンケーラス(La Humanitària de Jonqueres)
やラ・フラタルニタット・ダ・サン・ファリウ・ダ・ギショルス(La Fraternitat de Sant Feliu de Guíxols)
のように女性のみが参加するものもあった、1843年には、バルセロナ県内に16の労働者団体
が存在し、1855年にはこの数字が41に増加したとみられている125
。10年後、ジローナ県内の
郡を全て足し合わせると、48もの団体が存在していた。
115
原注: 現在のところ 28 冊刊行されている。
116
訳注: バルセロナ市より 35 キロほど北東にある、地中海岸沿いの街。
117
原注: Colomer, M. (1986). Cooperativisme i moviment obrer. L’exemple de la Cooperativa del Vidre de
Mataró. Barcelona: Altafulla.
118
原注: Faura, I. (2016). L’economia social catalana als inicis del segle XX. Lleida. Pagès editors.
119
原注: Solà, P. (1994). “El mutualismo contemporáneo en una sociedad industrial. Anotaciones sobre el
caso catalán”; そして同じ本の Moreta, M. (1994). “Cataluña en el movimiento mutualista de previsión
social en España”. A: Castillo, S. (1994). Solidaridad desde abajo. Madrid: UGT.
120
原注: Jutglar, A. (1962). L’era industrial a Espanya. Barcelona: Nova Terra (pp. 93 – 107).
121
訳注: 現在はバルセロナ市の一地区になっている。
122
訳注: ジローナ県内陸部にある町。
123
訳注: カタルーニャ州でも最も北東にある郡で、サルバドール・ダリの出身地であるフィゲーラスが中
心地。
124
原注: Ferrer i Gironès, F. (1998), op. cit., pp. 55 – 56
125
原注: Arnabat, R., Ferré, X. (2015), op. cit., p. 42.
医師についての証言を描いたペーラ・ファリップ・ムンラウ(Pere Felip Monlau)126
とジュアキ
ム・サラリッチ(Joaquim Salarich)127
、そして特に技術者のイルダフォンス・サルダー(Ildefons
Cerdà)128
は、カタルーニャのプロレタリアートの最悪な生活労働条件を表現しており、彼らは
団結し組織を設立することでこの状況との闘いを模索していた。ランバレー(Lamberet)129
は、
百家族ほどにより1840年にバルセロナで創設された最初の消費者協同組合について情報を
提供している。同年紡績労働者協会が誕生し、バルセロナ市内で7000名以上、バルセロナ県
内で8000名以上の会員を持つに至り130
、また綿工業労働者共済協会も誕生した。ビセンス・
ビべス((Vicens Vives))131
は、労働者の擁護と相互扶助(失業、病気など)という、1839年の
法律で認められた二つの広がりを説明する。これに加えて、失業者に労働を提供し、それ通
じて労働者が市役所の援助も得ていた協同組合工場の創設も追加しなければならない。しか
し再度弾圧的な措置により、「自主的かつ互恵的な絆であり、解散対象ではない」と明言して
いた労働者の実験に対して制限が課せられた。1841年、1842年および1843年に、労働者ム
ンス(Muns)が会長であったさまざまな様式の組織が解散させられる。最終的に1848年に、紡
績工企業が閉鎖されることとなる。
1857年に労働者組織全ての廃止令が出されるが、そのうちいくつかは公的に存在し続け
た。また、秘密組織化したものもあった。政治的状況の振動に左右される合法性と、その間に
おける地下組織化の間での生き残りを強いられる、盛衰が激しくリスクの多い民衆取り組み
は、このような徴兵反対の乱(1773年)132
、自由主義者の乱(1835~1843)133
、超王党派によ
る不満分子の乱(1825~1827)、中央集権主義者の乱(1843)、第2次カルリスタ戦争(1846~
1849)134
そして1868年の革命135
といった、覚醒と紛争を経た激動の時代の2つ目の特徴であ
る。結社の自由は1868年まで認められず、最初のアソシアシオン法が成立するのは1887年
のことである。
126
原注: Monlau, F. (1845). Remedios del pauperismo. València: Mariano de Cabrerizo; (1856). Higiene
industrial. ¿Qué medidas higiénicas puede dictar el Gobierno a favor de las clases obreras? Madrid:
Ribadeneyra.
127
原注: Salarich, J. (1858). Higiene del tejedor. Vic: Imp. y Librería de Soler hermanos.
128
原注: Cerdà, I. (1865). “Monografía estadística de la clase obrera de Barcelona”, apèndix a: La teoria
general de la urbanización. Madrid: Imp. Española.
129
原注: Lamberet, R. (1953). Mouvements ouvriers et socialistes. Chronologie et bibliographie. París: Les
Éditions Ouvrières (pàg. 31).
130
原注: Isard, M. (1978). El segle XIX. Burgesos i proletaris. Barcelona: Dopesa (p. 67).
131
原注: Vicens Vives, J., Llorens, M. (1961). Industrials i polítics al segle XIX. Barcelona: Vicens Vives (pp.
154 – 156).
132
訳注: 1770 年にスペイン国王カルロス 3 世が出した選抜徴兵令に対して、1773 年 5 月に一部のバ
ルセロナ市民が起こした反乱。
133
訳注: スペインでは 1812 年に最初のカディス憲法が発布されて以降、北隣のフランスの影響を受け
て自由主義の波が押し寄せており、旧体制支配が続く現状が勃発したもの。
134
訳注: フェルナンド 7 世の死後、幼齢で即位したイサベル 2 世の治世化で進んだ自由主義的・中央
集権的な政治を嫌い、フェルナンドの弟カルロスを君主に戴いて伝統主義的で地方特権の維持を図ろ
うとした勢力(カルリスタと呼ばれる)による反乱。第 1 次(1833 年~1840 年)、第 2 次(1846 年~1849
年)そして第 3 次(1872 年~1876 年)と起きるが、全てカルリスタ側の敗北に終わる。ちなみに第 3 次
カルリスタ戦争期には、カルロスの孫のカルロス・マリアがカルリスタ側が持ち上げる国王となっていた
一方、イサベル 2 世は後述の 1868 年の革命により国外追放され、反カルリスタ側(スペイン政府)は
アマデオ 1 世>第 1 共和政>アルフォンソ 12 世と目まぐるしく変わることになる。
135
訳注: 1866 年に始まった経済危機により市民の不満が高まり、フアン・プリム将軍の氾濫によりイサ
ベル 2 世が国外追放された件。その後 1874 年のアルフォンソ 12 世の即位まで、スペインでは自由主
義が支配的になる。
また、多機能性も互助団体にみられる3つ目の特徴であり、バレンシア市でエル・タリェー
ル(El Taller)を創設したバレアレス州・マヨルカ島出身の意思アントニ・イグナジ・サルベーラ
(Antoni Ignasi Cervera)136
が1844年に開始した先駆的な取り組みの相互扶助会においては、
1865年に1500名もの組合員を擁することになる。2年後に彼はマドリードで労働学校を創設し、
ここでは総合教育の提供に加え、病人への介護、無担保・無利息での融資提供、そして手工
業者向け原材料の購入や、彼らによる製品の販売を行った。この多機能性は、一方では緊
急のニーズのカバー、別の形態による消費や生産の模索、労働の提供、労働者民衆の要求
の表現や、報復を受けた者への庇護提供という、さまざまな前線での課題に同時に直面する
必要により、もう一方で公的社会保護の不在により説明できる。
公的福祉は非常に限定されており、縁故主義的で裁量の余地のあるものであり、何度も
再編成(1823年、1849年、1852年)されたものの、19世紀を通じて最貧層を庇護するに至らな
かった。むしろこの点で支配的だったのは、カトリック教会による慈善活動であった。また、そ
の後制定された労働者保護法(児童労働を禁じた1873年法と1878年法、労働災害に関する
最初の1900年法、および日曜日の休息に関する1904年法)も適用されなかった。この状況が
19世紀を通じて続いたため、協同組合運動は主に、社会経済的介入という総合的な使命を
深め続け、社交、研修、文化、レジャーおよび社会階層や地域アイデンティティの構築といっ
た機能を追加してきた。
民主主義が要求するアソシアシオニスムに基づく多様な機能や目的を進展させるこの
多様な使命こそが、19世紀前半を通じてより平等や社会的公正の進んだ他の諸国における
要求と共有された特徴である可能性は高い。ジャン・ルイ・ラヴィル137
は、アソシアシオニスム
の歴史的展開を振り返りつつ、1848年前のフランスにおいてその点を描き出している。コール
138
は、1820年から1850年にかけての英国における最初の協同組合運動および共済組合の
力と発展を説明している。イタリアでは139
、基礎的需要の充足、職務、また以前の世紀におけ
る手工業の形態に密接に関連し、同国において非常に長続きしたアソシアシオン形態や相互
扶助の前例を見つけることができるが、1810年代に社会的経済の多様かつ多機能な形態が
開花したのは間違いない。まずマッツィーニおよびルッツァッティの存在とともに、フランスや
オーストリアによる占領軍や教皇領に対抗する愛国主義的反乱が勃発したイタリア北部のさ
まざまな州において実施された。ポルトガルにおいては、同業者教会や手工業取引が長続き
したが、1850年以降労働者階級改善推進センター140
のような新興団体が、多様な社会経済
的活動をカバーするより幅広いプログラムでその範囲を広げたことは否定できない。
4つ目の特徴の内容を与える仮説は、協同組合運動、共済主義およびアソシアシオニス
ムという形で社会的経済が多様化している他国とは異なり、カタルーニャ語圏では取り組み
の多機能性およびその間の橋渡しがより長期間持続したというものである。かくして抵抗団体、
アタネウ、協同組合や、19世紀末の農協のように相互扶助の機構を創設する同業者組合、
協同組合の母体となる相互扶助団体や労働者市民学校、また1900年頃に新たな協同組合
を擁していた研修や余暇に取り組むカトリック系労働者サークルなど、多様な例が存在する。
136
原注: Estivill, J. (2017). “Algunes fites en l’itinerari formatiu de l’economia social i solidària”. A: DD.AA.
(2017). Esmolem les eines. Debats estratègics de l’economia solidària. Barcelona: Icaria, Tigre de Paper i
Pol·len (pp. 166 – 167).
137
原注: Laville, J.-L. (2015). Asociarse para el bien común. Barcelona: Icaria. (pp. 51 – 55).
138
原注: Cole, G. D. H. (1964). Historia del pensamiento socialista. Mèxic: Fondo de Cultura Económica
(primer vol., capítols X i XI); Cole, G.D.H. (1944). A century of co-operation. Manchester: Cooperative Union.
139
原注: Fabbri, M. (2011). L’Italia cooperativa. Centocinquant’anni di storia e di memòria. Roma: Ediesse
(pp. 25 – 44).
140
原注: Lázaro, J. (2014). Despontar do movimiento operário portuguès na esfera pública. Das prácticas
ao debate parlamentar. (1850-1870). Lisboa: Chiado.
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待
連帯経済への招待

Más contenido relacionado

Más de Miguel Yasuyuki Hirota

変革型経済世界社会フォーラムへのご招待
変革型経済世界社会フォーラムへのご招待変革型経済世界社会フォーラムへのご招待
変革型経済世界社会フォーラムへのご招待Miguel Yasuyuki Hirota
 
スペイン語とポルトガル語の違い
スペイン語とポルトガル語の違いスペイン語とポルトガル語の違い
スペイン語とポルトガル語の違いMiguel Yasuyuki Hirota
 
Reforma monetaria para un mundo más justo y sostenible
Reforma monetaria para un mundo más justo y sostenibleReforma monetaria para un mundo más justo y sostenible
Reforma monetaria para un mundo más justo y sostenibleMiguel Yasuyuki Hirota
 
Relação entre o mundo lusófono e o Japão PORT
Relação entre o mundo lusófono e o Japão PORTRelação entre o mundo lusófono e o Japão PORT
Relação entre o mundo lusófono e o Japão PORTMiguel Yasuyuki Hirota
 
Relación entre el mundo lusófono y Japón CAST
Relación entre el mundo lusófono y Japón CASTRelación entre el mundo lusófono y Japón CAST
Relación entre el mundo lusófono y Japón CASTMiguel Yasuyuki Hirota
 
Solidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happening
Solidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happeningSolidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happening
Solidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happeningMiguel Yasuyuki Hirota
 
「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約
「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約
「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約Miguel Yasuyuki Hirota
 
ワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアル
ワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアルワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアル
ワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアルMiguel Yasuyuki Hirota
 
市民プラットフォーム型政治を 日本で実現するために何ができるか
市民プラットフォーム型政治を日本で実現するために何ができるか市民プラットフォーム型政治を日本で実現するために何ができるか
市民プラットフォーム型政治を 日本で実現するために何ができるかMiguel Yasuyuki Hirota
 
市民政党ポデモスを生んだ スペインの社会的・政治的背景
市民政党ポデモスを生んだスペインの社会的・政治的背景市民政党ポデモスを生んだスペインの社会的・政治的背景
市民政党ポデモスを生んだ スペインの社会的・政治的背景Miguel Yasuyuki Hirota
 
市民の生活を支える国づくりの 基礎としての基本的人権: 世界人権宣言と日本国憲法から考える
市民の生活を支える国づくりの基礎としての基本的人権:世界人権宣言と日本国憲法から考える市民の生活を支える国づくりの基礎としての基本的人権:世界人権宣言と日本国憲法から考える
市民の生活を支える国づくりの 基礎としての基本的人権: 世界人権宣言と日本国憲法から考えるMiguel Yasuyuki Hirota
 

Más de Miguel Yasuyuki Hirota (20)

変革型経済世界社会フォーラムへのご招待
変革型経済世界社会フォーラムへのご招待変革型経済世界社会フォーラムへのご招待
変革型経済世界社会フォーラムへのご招待
 
韓国の社会的経済
韓国の社会的経済韓国の社会的経済
韓国の社会的経済
 
スペイン語とポルトガル語の違い
スペイン語とポルトガル語の違いスペイン語とポルトガル語の違い
スペイン語とポルトガル語の違い
 
ポルトガル語講座 ver 1 10
ポルトガル語講座 ver 1 10ポルトガル語講座 ver 1 10
ポルトガル語講座 ver 1 10
 
スペイン語講座 ver 2 10
スペイン語講座 ver 2 10スペイン語講座 ver 2 10
スペイン語講座 ver 2 10
 
Reforma monetaria para un mundo más justo y sostenible
Reforma monetaria para un mundo más justo y sostenibleReforma monetaria para un mundo más justo y sostenible
Reforma monetaria para un mundo más justo y sostenible
 
Relação entre o mundo lusófono e o Japão PORT
Relação entre o mundo lusófono e o Japão PORTRelação entre o mundo lusófono e o Japão PORT
Relação entre o mundo lusófono e o Japão PORT
 
Relación entre el mundo lusófono y Japón CAST
Relación entre el mundo lusófono y Japón CASTRelación entre el mundo lusófono y Japón CAST
Relación entre el mundo lusófono y Japón CAST
 
Dinero positivo, 14 de julio de 2016
Dinero positivo, 14 de julio de 2016Dinero positivo, 14 de julio de 2016
Dinero positivo, 14 de julio de 2016
 
Solidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happening
Solidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happeningSolidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happening
Solidarity Economy: Another economy IN SERVICE FOR LIFE is happening
 
「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約
「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約
「通貨と持続可能性: 見失われた関連性」要約
 
ワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアル
ワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアルワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアル
ワークショップ「日本で市民プラットフォーム型政治を生み出すには」運営マニュアル
 
市民プラットフォーム型政治を 日本で実現するために何ができるか
市民プラットフォーム型政治を日本で実現するために何ができるか市民プラットフォーム型政治を日本で実現するために何ができるか
市民プラットフォーム型政治を 日本で実現するために何ができるか
 
市民政党ポデモスを生んだ スペインの社会的・政治的背景
市民政党ポデモスを生んだスペインの社会的・政治的背景市民政党ポデモスを生んだスペインの社会的・政治的背景
市民政党ポデモスを生んだ スペインの社会的・政治的背景
 
市民の生活を支える国づくりの 基礎としての基本的人権: 世界人権宣言と日本国憲法から考える
市民の生活を支える国づくりの基礎としての基本的人権:世界人権宣言と日本国憲法から考える市民の生活を支える国づくりの基礎としての基本的人権:世界人権宣言と日本国憲法から考える
市民の生活を支える国づくりの 基礎としての基本的人権: 世界人権宣言と日本国憲法から考える
 
Valencia, sep 2015
Valencia, sep 2015Valencia, sep 2015
Valencia, sep 2015
 
Lima, 15 de mayo de 2014
Lima, 15 de mayo de 2014Lima, 15 de mayo de 2014
Lima, 15 de mayo de 2014
 
Tunis, 26 mars 2015
Tunis, 26 mars 2015Tunis, 26 mars 2015
Tunis, 26 mars 2015
 
Banco Escolar del Tiempo
Banco Escolar del TiempoBanco Escolar del Tiempo
Banco Escolar del Tiempo
 
Porto, 17 de janeiro de 2015
Porto, 17 de janeiro de 2015Porto, 17 de janeiro de 2015
Porto, 17 de janeiro de 2015
 

連帯経済への招待